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  1. 猪苗代城の妖怪・亀姫
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歴史ネタ帖

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織田信長の死18歳で織田家を継いだ信長は、それから30年の間、戦いに明け暮れる日々を送った。そして、ときには行く手をはばむ者を徹底的に破壊筑紫、またあるときは、進んであたらしいものを取り入れながら、新しい時代を築こうとつとめた。しか…

比叡山の焼き討ち焼き討ち、皆殺しといえば、1571年9月に行われた比叡山延暦寺の焼き討ちも、すさまじいものであった。延暦寺は、信長に敵対した浅井・朝倉軍を助けていた。これを怒った信長は、ついに比叡山攻…

  信長像 『地図で訪ねる歴史の舞台』帝国書院より  安土町 『地図で訪ねる歴史の舞台』 帝国書院より破壊と建設「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」というのは、織田信長の性格や行動をよくあらわしている…

信長と将軍義昭足利義昭は、第13代室町将軍義輝の弟である。このころ室町将軍の力はすっかり衰えていたが、松永久秀と三好義継は、さらに義輝を殺して室町幕府の実権を手中に収めていた。その頃奈良興福寺一乗院の僧になっていた義昭は「将軍職を継…

「天下布武」の歩み  ~ 美濃攻め ~東海道の今川氏をおさえ、徳川家康と同盟を結んだ信長が、次の目標にしたのは、美濃(岐阜県)の斎藤氏であった。すでにこのころ、「まむし」とまでいわれた斎藤道三は、子どもの義竜と戦って敗れ、この世を去…

桶狭間の戦いこの年、かねて京都へのぼって天下に号令しようとしていた駿河(静岡県)の今川義元は、2万5000の大軍を率いて西へ西へと進んだ。そして5月19日には、鷲頭・丸根などの織田方の砦をおとし、田楽桶狭間(桶狭間の山の中間)に陣を…

「天下布武」の望み  ~「大うつけ」のころ~信長が、尾張国で生まれたのは、ザビエル来日よりおよそ15年ほどまえのことである。その後しばらくの間は那古野城(今の名古屋城)に住み、13歳で元服、14歳で初陣、15歳で斎藤道三の娘濃姫と結…

ザビエルとキリスト教鉄砲が伝わってから6年ののち、日本の歴史にとって忘れられない人物が、はるばる海を渡って九州の鹿児島に到着した。フランシスコ・ザビエル。わが国にはじめてキリスト教を伝え、熱心に布教したスペイン(イスパニア)人である…

鉄砲の伝来16世紀前半のこと、その大航海時代の波が、ついに日本にもおしよせてきた。1543年(1452年という説もある)、九州の南、種子島にポルトガル人が流ついたことは、特に名高い。実は、ポルトガル人がわが国へきたのは、これが初めて…

南蛮人の渡来戦国時代の出来事といえば、南蛮人の渡来のことも忘れることはできない。なお南蛮人というのは、みずからを中華と考え、周囲の者を東夷・西戎・南蛮・北狄と呼んだ中国の華夷思想をもとにして、南方から来たヨーロッパ任を、この名で呼ぶ…

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猫は、真実を見ている。 はじめまして、黒坂メイ(ペンネーム)てす。「分かりやすい・簡単・安心して使える歴史ネタ」を提供し、「そうなんだなぁ」と歴史を身近に感じて頂けるホームページを目指しています。 宜しく、お願いいたします。

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