カテゴリー:猪苗代
天正17年(1589)摺上原合戦前後5月4日 安達郡阿子島城へ御働きあり、城廻り御巡見有り、まず外城攻取り玉ふへき由仰られ、城主阿子島治部方より伊達成実を頼み、早速に外城攻めとられ頼みなし、城を明け渡し退くべし、願くば士卒の…
沼沢火山の噴火 ~縄文人の災難~日本列島は「火山列島」である。日本では、2017年の時点で、111の活火山が火山予知連絡会及び気象庁により定められている。福島県内には、5つの活火山が存在する。沼沢火山は…
入定の執念 入定とは、日本の一部地方に見られる民間信仰において、僧は死なず、生死の境を超え弥勒菩薩出世の時まで、衆生救済を目的として永遠の瞑想に入る(入定:にゅうじょう)と考えられている。僧が入定した後…
亀です。 毎日、重い碑を背負っております。 これは、亀跌(きふ)といいます。かめの形に刻んだ碑の台石です。転じて、碑の異称とか。見るからに、重いものを背に載せて踏ん張っ…
猪苗代城入り口風景 奥州征伐の功績により会津の地を与えられた佐原氏の一族である猪苗代氏の居城でしたが、江戸時代には若松城(鶴ケ城)の出城ともなっていました。この城は清作(野口英世博士)が通っていた猪苗代尋…
『地図で訪ねる歴史の舞台』帝国書院より掲載茶色が芦名軍、紫が伊達軍摺上原の合戦後の猪苗代氏 ~伊達氏の史料より~ 猪苗代盛国が、伊達氏に内通して芦名氏に敗因をもたらした人物である。その「功」によって、猪苗代弾正忠盛国…
猪苗代湖畔にある、国指定重要文化財、天鏡閣 明治40年に有栖川宮威仁親王殿下が旅行中に猪苗代湖を巡遊され、その美しさを賞せられ、この地にルネッサンス様式を取り入れた別邸を明治41年に…
猪苗代湖の主 昔々、猪苗代湖畔の村におやかっつぁまの家さ、1人の若いあんちゃんが来て、「働かしてもらわんにべか」というもんだから、おやかっつぁまはたいしたドケチだったんで「飯はくわせっけど、住み込み…
東北の日光見禰山 ~土津神社~ 東北の日光といわれる建造物群が猪苗代町の見禰山にありました。 それは、会津松平家の祖・保科正之をまつる猪苗代町の見禰山で、猪苗代湖を一望する磐梯山麓の…
会津領主の変遷と猪苗代城代猪苗代城の亀姫の話は、寛永19年です。 この時の史実上の会津藩の領主と猪苗代城代について纏めてみました。 会津藩時代の領域は、時代により違います。 藩主は、…