カテゴリー:日本史の通史
イギリス公使パークス イギリス公使パークスは、大政奉還はときの流れと歓迎し、薩長を支持した。ただし新しい政権が誕生しても、慶喜はこれまでの業績が評価され、しかるべき地位につくだろうと考えていた。 確かに土佐が間に入り、平和裏…
幕府顧問 フランス人ロッシュロッシュ持病のリュウマチの治療のために、熱海温泉に滞在していた。大政奉還の知らせが京都から伝えられたとき、寝耳に水の話に仰天した。ロッシュは詳細を聞くためにすぐに江戸へ向かった。 江戸につくと、慶喜か…
誤った大政奉還の時期 弾薬がない、大砲がたりない、資金がない、問題は山積みであった。これは慶喜が最初の段階で、致命的なミスを犯したことに関連していた。慶喜が大勢を訪韓すれば、後継者をめぐる権力争いは避けられない。調停役の土…
土佐の山内容堂は、こんなはずではなかったと自問自答したが、すべては手遅れだった。慶喜は完敗した。 この陰謀、慶喜はまったく知らなかったのか。実はそうではなかった。土佐の後藤象二郎は事前にこれを知り、二日前の夜、越前の松平春嶽のもとに…
王政復古の大号令午後になって土佐藩兵半大隊が来て、唐御門に整列した。大砲も持ち込まれた。やがて土佐藩から会津藩に対して、御所の警備を土佐に引き継ぐよう命令書が手渡された。会津藩は呆然(ぼうぜん)として、なんらすとこがなかった。 …
討幕の密勅を手にした西郷隆盛に、怖いものはなかった。目障りだった坂本龍馬も、この世にいない。龍馬よりでだった後藤象二郎も外し、西郷は着々と策を練っていた。 密勅を書いた中山忠能(ただやす)、正親町実愛(さねなる)、中御門経之…
天正17年(1589)摺上原合戦前後5月4日 安達郡阿子島城へ御働きあり、城廻り御巡見有り、まず外城攻取り玉ふへき由仰られ、城主阿子島治部方より伊達成実を頼み、早速に外城攻めとられ頼みなし、城を明け渡し退くべし、願くば士卒の…
七ケ宿街道 白石市の奥、七ケ宿街道は、仙台と会津の秘密会談が行われたところである。 七ケ宿町役場がある関宿。ここで会津藩降伏謝罪歎願を検討する三藩首脳(仙台藩・但木土佐、米沢藩・木滑要人、会津藩・梶尾平馬)の秘密会談がおこ…
幕府の誤算 ~鳥羽伏見の戦い~誤算 その1鳥羽伏見の戦いは、将軍徳川慶喜の優柔不断な性格から起こった。慶喜は混乱した事態を収拾すべく大政を朝廷に返上した。これが幕府の誤算の始まりである。薩摩の西郷隆盛は、一気にクーデターを断…
近世の種痘 種痘とは痘瘡(とうそう)(天然痘 てんねんとう)の予防接種のことで植痘(うえほう)ともいいます。 18世紀末に、人痘と牛痘との免疫上の関係をつくることに成功したのが、イギリスのエドワード・ジェンナー(1749~1…