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  1. 猪苗代城の妖怪・亀姫
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歴史ネタ帖

カテゴリー:中世

亀の前(かめのまえ、生没年不詳)亀の前は、時末期から鎌倉時代初期の女性。良橋太郎入道の娘。源頼朝の愛妾鎌倉時代に成立した『吾妻鏡』によると、亀の前は頼朝の伊豆国の流人暮らしの頃から仕えており、容貌すぐれて柔和な性格で気に入ら…

葦名盛氏と雪村 蘆名家一五代葦名盛舜(もりきよ)の子として生まれた葦名盛氏は(大永元年~天正八年 一五二一~一五八〇)は、天文二二年…

室町末期の横沢氏(猪苗代湖の南側の土地を領有)伊東河内については不明や疑義の点が多く、至徳の頃(北朝方にてしようされた年号、1384年~1387年まで)田面の寺にて自滅して失いたり、といい、そののち大永三年(1523年)には会津葦名…

猪苗代氏猪苗代氏(いなわしろし)は、桓武平氏、三浦氏の流れを汲む日本の武家の氏族で、蘆名氏の支流です。三浦氏の一族の佐原氏の佐原盛連の長子で蘆名光盛(蘆名氏の祖)の兄である猪苗代経連が鎌倉時代中期に陸奥国…

鎌倉時代 ~荘園と国衙領~ その当時の日本地方社会は、二重構造になっていた。当時の社会の基盤は土地であったが、それは朝廷の政治の支配のもとにあった国衙領と、貴族や社寺がもっいた荘園の二つに分かれていた。…

疑い深かった頼朝弟義経を滅ぼした頼朝は、猜疑心の強い人だったらしい。平氏追討の総大将をつとめたもう一人の弟範頼も、この猜疑心の犠牲になった。範頼は義経の死後、頼朝から疑惑をもたれないようにと、さまざまに腐心したが、伊豆の修禅寺に幽閉…

歌人としての実朝政治についての関心がうすかった実朝は、御家人たち、特に北条氏からは「安全な将軍」とみられていたらしい。そして、政治や軍事のことはほとんど北条氏がまかされ、将軍としての実朝の仕事は、寺社におまいりして国の平和や豊作を祈…

☆将軍としての頼家1182年(寿永1)8月12日、源頼朝の妻政子(北条時政の娘)は、玉のような男の子(万寿)を産んだ。跡継ぎが編まれたというので、頼朝の喜びはひとしお大きかった。もちろん、源氏の安泰を願う…

蓮如と真宗教団真宗をおこしたのは、鎌倉時代初めごろの親鸞である。親鸞は、「阿弥陀仏にすがり、ひたすら南無阿弥陀仏ととなえれば、悪人でも極楽往生できる」と説き、その教えは多くの人々に喜ばれ、受け入れられていった。しかし親鸞の死後は、真…

中央政界に進出した三好氏・松永氏三好長慶・松永久秀は、いずれも下克上によって、16世紀の中頃に室町幕府の中枢にすわり、勢いを振るった人物である。このうち三好氏は、もともと阿波国(徳島県)を本拠に、管領細川氏の代官を務…

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猫は、真実を見ている。 はじめまして、黒坂メイ(ペンネーム)てす。「分かりやすい・簡単・安心して使える歴史ネタ」を提供し、「そうなんだなぁ」と歴史を身近に感じて頂けるホームページを目指しています。 宜しく、お願いいたします。

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