カテゴリー:日本史の通史
三春町にあります紫雲寺境内の「はらきりの梅の碑」紫雲寺三春町にある「高乾院」です。案内板の脇の階段を上る…
仙台輪王寺にああります、飯沼貞吉(後に改名して貞雄)の墓です。白虎隊士自刃者唯一の蘇生者、飯沼貞吉少年(後貞雄と改めた)は印出新蔵の妻ハツに助けられ、後通信省の技師となり仙台通信局工務…
日橋川から猪苗代湖を望む (木々の間の向こう側に見えるのが猪苗代湖) お亀ちゃんの話 むかし、むかし、猪苗代湖の北側では、猪苗代城もあり…
那須 殺生石殺生石の伝説 鳥羽上皇が寵愛したという伝説の女性、玉藻前が九尾の狐の化身(妖狐)で、陰陽師の安倍泰成に見破られて東国に逃れ、上野介広常と三浦介義純が狐を追いつめ退治すると狐は石に姿を変えたという伝説があ…
安寿と厨子王丸 (あんじゅ と ずしおうまる)前(さき)の奥羽五十六郡の太守、岩城判官正氏の一族は、讒言(ざんげん。虚偽の悪行をでっち上げて人を陥れる事)によって筑紫に流された。本国に残され落魄した正氏の…
亀の前(かめのまえ、生没年不詳)亀の前は、時末期から鎌倉時代初期の女性。良橋太郎入道の娘。源頼朝の愛妾鎌倉時代に成立した『吾妻鏡』によると、亀の前は頼朝の伊豆国の流人暮らしの頃から仕えており、容貌すぐれて柔和な性格で気に入ら…
亀です。 毎日、重い碑を背負っております。 これは、亀跌(きふ)といいます。かめの形に刻んだ碑の台石です。転じて、碑の異称とか。見るからに、重いものを背に載せて踏ん張っ…
『地図で訪ねる歴史の舞台』帝国書院より掲載茶色が芦名軍、紫が伊達軍摺上原の合戦後の猪苗代氏 ~伊達氏の史料より~ 猪苗代盛国が、伊達氏に内通して芦名氏に敗因をもたらした人物である。その「功」によって、猪苗代弾正忠盛国…
徳川家康の長女 亀姫 徳川家康の長女亀姫は、永禄3年6月4日、駿府でうまれました。元亀4年(1573)ごろに家康が奥三河における武田氏の勢力をけん制するため奥平氏の帰順を試みました。この時、織田信長の提案で亀姫と新城城主奥平信昌の婚約…
平氏打倒ののろし1180(治承4)年の春4月、平清盛は、長い間の望みをやっと果たし、喜びの絶頂を味わっていた。このとき、高倉天皇が退位して上皇となり、清盛の娘、徳子が生んだ言仁(ときひと)親王が、3歳の若さで即位(安徳天皇)したので…