カテゴリー:猪苗代
葦名盛氏と雪村 蘆名家一五代葦名盛舜(もりきよ)の子として生まれた葦名盛氏は(大永元年~天正八年 一五二一~一五八〇)は、天文二二年…
伊東彦三郎と猪苗代盛胤の墓伊東氏の菩提寺、舘村真言宗岩上寺境内には累代の墓碑が見当たらない。これは猪苗代氏の場合とも共通で同地にも最後の城主で伊東彦三郎と、一時は盟友であった盛胤の墓碑はささやなながら存するほかは、累…
室町末期の横沢氏(猪苗代湖の南側の土地を領有)伊東河内については不明や疑義の点が多く、至徳の頃(北朝方にてしようされた年号、1384年~1387年まで)田面の寺にて自滅して失いたり、といい、そののち大永三年(1523年)には会津葦名…
猪苗代町にあるキリシタン受難の地 蒲生氏郷はレオ氏郷の洗礼名を持つキリシタン大名であったため若松・猪苗代・南会津・郡山・三春・白岩・糠沢・二本松・福島にキリスト教が広まりました。しかし、寛永9年<…
猪苗代町にある旧高松宮翁島別邸の長屋門(裏側 修復中)長屋門という珍しい門です。この門の両側は、部屋になっています。高松宮が栃木県のとある所で、この門とであい。所望し、ここに移築された…
猪苗代湖(いなわしろこ)って、どうしてできたのかな? 天鏡閣から望む猪苗代湖です。 夏の8月、素晴らしい晴天の日に撮影した猪苗代湖です。 ちょっと、残念な写真になってしまいましたが、 …
猪苗代氏猪苗代氏(いなわしろし)は、桓武平氏、三浦氏の流れを汲む日本の武家の氏族で、蘆名氏の支流です。三浦氏の一族の佐原氏の佐原盛連の長子で蘆名光盛(蘆名氏の祖)の兄である猪苗代経連が鎌倉時代中期に陸奥国…
姫路城の刑部神社姫路城の最上階の6階には、刑部明神がまつられています。 姫路が建つ姫山には、「刑部(おさかべ)大神」などの神社がありました豊臣秀吉は築城にあたり刑部大神の社を町外れに移しま…
猪苗代城の妖怪 加藤左馬助嘉明、同式部少輔明成御父子の節、猪苗代御城代堀部主膳相つとむ。禄壱万石。寛永十七年十二月、主膳只壱人座敷に有ける折、いつくともなく禿来りて、「汝久敷此城に有といへ共、今に此城主に御目見をなさす。…
猪苗代城の歴史≪中世≫猪苗代城の築城については、奥州合戦によって会津を与えられた相模国の御家人佐原義連の孫・経連が鎌倉時代初期に築いたといわれているが、真偽は不明である。≪近世≫ その後、会津領主は蒲生氏郷、上杉景勝…