猪苗代湖(いなわしろこ)って、どうしてできたのかな?
猪苗代湖(いなわしろこ)って、どうしてできたのかな?
天鏡閣から望む猪苗代湖です。
夏の8月、素晴らしい晴天の日に撮影した猪苗代湖です。
ちょっと、残念な写真になってしまいましたが、
亀姫さまも毎日猪苗代湖を眺めていらっしゃるでしょうか?
猪苗代湖(いなわしろこ)
猪苗代湖(いなわしろこ)は、日本の福島県の会津若松市、郡山市、耶麻郡猪苗代町にまたがる湖です。
日本国内で四番目に広い湖です。天鏡湖(てんきょうこ)とも言われます。阿賀野川水系所属の一級河川の指定を受けており、福島県のシンボルの一つとされています。
福島県のほぼ中央に位置し、面積は琵琶湖、霞ケ浦、サロマ湖に次いで日本第四位です。湖面の標高五一四mは、全国でも有数の標高の高い湖です。猪苗代湖は、磐梯朝日国立公園に属しています。
猪苗代湖の成り立ちは、第四期(二五八万八千年前から現在までの期間)以降、東側の川桁断層により盆地の形成が始り、新第三期(二三〇三万年前から二五八万年前までの時代)中も西側の会津盆地東縁断層などを含む東西の断層により、現在の猪苗代湖に続く盆地の形成がなされました。
その後、南方からの火砕流による西側山地の発達を経て、磐梯山による九万年前頃の翁島火砕流体積物と四万二千年前頃の頭無火砕流体積物によって、盆地排水部がせき止められ、湖盆地が形成され、湖の水位があがりました。その後、日橋川による急激な浸食により湖面が現在の高さまで低下し、現在の猪苗代湖が形成されたのです。
要するに、川桁断層、会津盆地東縁断層により地面がくぼみ盆地となり、そこに火砕流で水の出口がふさがれてしまい、湖に入る川があるが、湖から出る川が日橋川のみとなったことで、現在の猪苗代湖が完成されたということでしょう。
安積疏水が出来るまでは、水量があり、度々湖近くの村々は水害に苦しんでいたので、疏水ができ、湖のダム化で水量の調整ができることにより、会津・安積などの農業用水利用ばかりではなく、猪苗代湖の水害から村人をすくったという安積疏水の一面もあります。
猪苗代湖の成長 ~磐梯山との関係~
先日、猪苗代湖に行った際に見かけた案内です。
磐梯山の麓が、猪苗代町になっています。
そこに、土津神社、猪苗代城、
伊達氏と芦名氏が戦った摺上原古戦場などがあります。
猪苗代湖の説明板です。
猪苗代湖の成長
~猪苗代湖の水域を変えてきた磐梯火山との関係~
磐梯山は、1888年(明治21)の噴火が一番あたらしいですが、この辺り一帯に広がる場所は、約4万年前の磐梯山の噴火で生じた「岩なだれ」によってできた「流れ山地形」が広がっています。
この流れ山は、磐梯山の西南側の麓に広がっていて、会津盆地の中にもあります。
また、猪苗代湖の北西岸にある翁島も、この翁島岩なでれでできた流れ山です。
そして、この岩なだれの発生で、猪苗代盆地から会津盆地へ流れていた川がせき止められ現在にみられる広大な猪苗代湖が誕生しました。
以上 案内板から
猪苗代湖の大きさの変化を図示したものです。
4~3万年前の猪苗代湖は、だいぶ大きかったようです。
磐梯山噴火の話
古く大同元年(八〇六)に噴火したという記録があるが、詳細は分からない。
それから一〇〇〇年を経た明治二一年(一八八八)七月十五日、午前七時四五分、突如として起こった大噴火。
快晴のその朝、山はたびたび地震のように雷動し、小磐梯から二〇回近くの爆発が起こった。
そして最後の大爆発が泥流となり北へ流れて参事となった。この間わずか一分程度。
その後四〇分ばかり小爆発がつついたが、やがて濃い灰が降り始め、一時は真っ暗になって、稲妻が走ったとしう。
この噴火で埋没したのは四五戸、死者四七七人、この被害の上に現在の磐梯高原があるのである。
猪苗代湖一周は、何キロかな?
猪苗代湖一周 サイクリング コース の場合は、57.6Km
ゆっくりサイクリングで、景色を楽しみながら
所要時間は、約3時間21分で回れるようです。
四季折々の景色を堪能して
まっ、冬は無理です。
雪の中ですから
これからの、秋に向けて
コロナが収束すれば
レンタサイクルもあるようでから
猪苗代湖一周、サイクリングも良いでしょう。
沼沢火山の噴火
日本列島は「火山列島」である。日本では、2017年の時点で、111の活火山が火山予知連絡会及び気象庁により定められている。福島県内には、5つの活火山が存在する。沼沢火山は、その1つにあたる。
沼沢火山は、福島県大沼郡金山町の会津盆地の南西山地に位置する。
沼沢火山の噴火口の現況は、水を貯えたカルデラ湖となっている。これが、沼沢湖である。
沼沢湖は、紀元前3,400年頃に起きた沼沢湖火砕噴火で形成された小型カルデラ湖である。その最大水深は、96mである。
沼沢湖の直径は約2㎞で、湖面の標高は475mである。
火口の周囲には、43,000年以上前の噴火による溶岩ドームが外輪山を形成し、火砕流起源の台地が分布する。
沼沢山の形成は、約11万年前に遡るとされ、火山体積物の層序から大きく7回の噴火痕跡がみとめられている。
近直の噴火は、縄文時代前期終わりころでである。
火砕流堆積物は、1,000m前後の山々を越えて、または谷筋を縫うようにして、会津盆地南半を覆っている。
さらに、噴火口から約30キロ離れた阿賀川流域付近まで達したと考えられている。また、火砕流は近接する只見川を堰き止め、只見川上流に堰き止め湖を発生させた。
会津地域に暮らしていた縄文人にとって大きな影響を及ぼした自然災害であった。
安達太良や磐梯山(明治21年7月15日噴火)に気を取られてました。
沼沢火山という火山を最近知りました。
地図上では、猪苗代湖より西側にあります。
確かに、地図をみると、只見川がダム化している状況がこれで、理解出来ます。
それにしても、縄文人も、災難でした。
参考資料
山元孝広(2014)詳細火山データ集:沼沢火山.日本の火山,産総研地質調査総合センター
(https://gbank.gsj.jp/volcano/Act_Vol/numazawa/index.html)