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  1. 猪苗代城の妖怪・亀姫
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歴史ネタ帖

史跡 東北の日光見禰山 ~土津神社~

東北の日光見禰山 ~土津神社~

 

 

 東北の日光といわれる建造物群が猪苗代町の見禰山にありました。

 それは、会津松平家の祖・保科正之をまつる猪苗代町の見禰山で、猪苗代湖を一望する磐梯山麓の景勝の地に、延宝三年(1675)8月に完成しました。残念なことに、それらは慶応四年に若松へ撤退するために、猪苗代城代が命じて火を放って焼失したのです。

 その120年後の昭和62年、建物こそ旧態を失いましたが、神式による江戸時代の大名墓地の代表例として、見禰山は会津若松市院内の御廟とともに「会津藩主松平家墓地」として国史跡に指定されました。

この史跡見禰山の復元をしてはいかがでしょうか?

 見禰山の復元には、当然写真はありません。しかし、絵図が残っています。また『家世実紀』の完成時の記述があり、建造物ばかりでなく、その各部を飾る木彫の図柄まで記されています。

また、青森県の津軽信政をまつる高昭神社は見禰山を模しているといいます。

これらを元に、欠けた部分は、建造物とそれを飾る造形ともに現代の粋で補えばよいでしょう。国指定史跡の品格が要求されることになります。

 復元された見禰山の活用として、猪苗代町は冬季スポーツの拠点であり、磐梯高原は四季を通じて観光客が多く、その人々の足を史跡見禰山に引き寄せることは考えるられます。

 21世紀、グローバル化が進み、20世紀のような高度成長は考えにくい。21世紀、東日本大震災、コロナも終息していない時期ではありますが、これまでの匠の技を伝承する意味でも見禰山復元という事業をすすめるるのは、この時流に沿うものではないでしょうか。

 

 

猪苗代八景  ~保科正之と山崎闇斎~

 猪苗代八景は、江戸時代初期、会津藩主・保科正之公に藩政の相談役として迎えられた朱子学者・山崎闇斎が選んだとされる。

一 壺下の夕照(つぼろしのゆうしょう)

一、金曲の落雁(かねまがりのらくがん)

一、磐梯晴嵐(ばんだいせいらん)

一、観音寺の夜雨(かんのんじのやう)

一、篠山帰帆(しのやまきはん)

一、翁島の母雪(おきなじまのぼせつ)

一、吾妻の秋月(あづまのしゅうげつ)

一、恵日寺の晩鐘(えにちじのばんしょう)

現代に残るステキな古里の風景を掘り出して新たな名所にしようと企画されたのが、「猪苗代新八景」です。平成21年から猪苗代観光協会が中心となり策定コンテストを実施し、平成23年6月22日に決定しました。

新猪苗代八景

一、天神浜

一、観音寺川

一、達沢渓谷

一、天鏡閣

一、土津神社

一、亀ケ城跡

一、天鏡台(町営牧場を含む)

一、中津川渓谷(秋元湖を含む)

この八ケ所です。

 現代の新猪苗代八景色に、亀姫さまの「亀ケ城跡」がありました。

 ちょっと、嬉しいですね。

 聞いたところ、観音寺川の桜が見事なのだとか。

 観音寺川は、今、珍しい自然な川なのです。

 川には、コンクリートでかためた護岸がありますが、それがないとか。

 今年、行ってみたいところの一つです。

 中津川渓谷は、夏におすすめです。

 ちょっと、道路から歩きますが、

 爽やかな美しい景色が見られます。

 

 

 

 

 

保科正之公墓所 奥の院参道入口です。

 

 

発掘発掘調査終了後に整備された部分でしょうか。

 詳しくわかりません。

 すみません。

 

 奥の院の参道付近は、このような状態でした。

 数年前です。

 この状態なので、発掘調査をして現状確認して

 整備する必要があったのでしょう。

 発掘調査が終わったところから、最初の写真のように石畳にして歩きやすい?

 整備をするのでしょう。

 現在は、すでに整備されたあとでしょう。

紅葉の時期もステキです。

 冬にコンコンと雪が降る時期もいいでしょうね。

 

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