織田信長の破壊と建設 ~寺と石仏の破壊~
信長像 『地図で訪ねる歴史の舞台』帝国書院より
安土町 『地図で訪ねる歴史の舞台』 帝国書院より
破壊と建設
「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」というのは、織田信長の性格や行動をよくあらわしているといわれる川柳である。つまり、自分に従わない者、天下統一の邪魔になる者は、すべてたたきつぶしてしまえ、というのが、信長のやり方であった。前でみてきた各地の大名・武士との戦いの仲にも、それがあらわれているのであるが、さらに次のような出来事の中にも、徹底的な破壊者としての信長像が浮かび上がってくる。
≪寺と石仏の破壊≫
1569年、信長は将軍足利義昭のために室町御所(京都)をつくった。「少なくとも2.3年はかかる大工事を、わずか70日で仕上げてしまった」といわれるほど急な工事であったが、この工事のために信長は、付近にあった石材をすべて運ばせて石垣を築いたという。そのなかには、寺の石段もあったし、人々が毎日のように祈りを捧げていた石仏もたくさんあった。もちろん、石仏のままでは石垣にはならないから、首を打ちかいたり、四角に刻んだりして使ったのである。寺の石段をこわし、石仏を石垣にするなど、当時の人々には考えられもしないことであった。悪魔のようなしわざとさえ感じたことだろう。
しかし信長にとっては、そうではなかった。「何が寺か、何が仏か。寺や仏がわれわれを助けてくれるものか。今のわれらに必要なものは、すべてたたきこわしてしまえ」というのが、彼の考えだった。
※ホトトギス
ホトトギス(杜鵑、学名:Cuculus poliocephalus)は、カッコウ目・カッコウ科に分類される鳥類の一種。特徴的な鳴き声とウグイスなどに托卵する習性で知られる。
日本では古来から様々な文書に登場し、杜鵑、時鳥、子規、不如帰、杜宇、蜀魂、田鵑など、漢字表記や異名が多い。