カテゴリー:妖怪・怪談
彗星の記録 彗星の記録と水木しげる「一反もめんの原型」 天武七年(六七八)冬十月に難波に長さ五、六尺の綿のようなものが風に吹かれて松林などに翻った。人々は「甘露」だといった。「甘露とは、…
ねずみの記録 ~妖怪が姿を潜ませた時代へ~ 斉明天皇の意志を継いで朝鮮半島へ出兵した日本軍であったが、白村江の戦いで大敗する(六六三)。あとを受けた中大兄皇子は人々の反対をおして近江の大津に遷都する(六…
鬼・鬼火 斉明天皇の時代、『日本書紀』に不思議な出来事が記されている。 斉明七年(六六一)、朝鮮半島で百済が新羅と唐の連合軍のために滅ぼされようとしたので、女帝は老体をおして同盟国百済救済のために出征を決…
役 小角(えん の おづぬ ) ~修験道の開祖~舒明天皇6年(634年)~ 大宝元年6月7日(701年7月16日))飛鳥時代の呪術者で、役行者(えんのぎょうじゃ)、役…
消えた死体『日本書紀』に現れる怪異 推古二十一年(六一三) 聖徳太子が片岡で飢えた旅人を路上で介抱するが、その旅人はやがて死ぬ。埋葬した後、その墓を開いてみると、死体はなくなっていて、その…
雪中の幽霊 塩沢の近くに関山という村があり、その近くを魚野川がながれている。流れが急なので橋がいつも流失し、仮設の橋を設けていたが、その上に雪が積もると過って川に落ち、溺死する人が多かった。…
妖怪と娯楽・大衆文化 江戸時代以来、妖怪は娯楽や大衆文化と深いつながりがあることは以前から認識されてはいたものの、それはあくまで二次的なものとみなされ、正面からとりあげられることはほとんどなかった。 しか…
妖怪画への関心 ~文化財として~ 昭和60年代を境に妖怪を描いた絵画資料が一般の人々の目に触れる機会が多くなっていく。 昭和62年(一九八七)の『別冊太陽 第五七号「日本の妖怪」』は、妖怪画をヴィジュア…
妖怪研究の退潮と妖怪ブーム 昭和三一(一九五六)に柳田國男の『妖怪談義』が刊行されたのち、あたかも妖怪の問題は柳田國男によって解決済みとされたかのように、新たな妖怪論が民俗学の中から現れることはなくなり、妖怪に関する報告…
江戸時代の鬼神論 中世までは、さまざまな怪異は神仏からのメッセージとしてとらえれ、それがいかなる事態の予兆であるのかを解釈することが、怪異にたいする「知的」な対応であった。神祇官や陰陽寮といった公的機関で…