妖怪と娯楽・大衆文化
妖怪と娯楽・大衆文化
江戸時代以来、妖怪は娯楽や大衆文化と深いつながりがあることは以前から認識されてはいたものの、それはあくまで二次的なものとみなされ、正面からとりあげられることはほとんどなかった。
しかし、国際日本文化研究センターの共同研究会では、化物屋敷や紙芝居、歌舞伎、落語、草双紙、絵双六といった近世の娯楽文化のなかの妖怪が話題としてとりあげられ、それらが十分に研究に値する素材であることが明らかにされた。
妖怪が一八世紀後半ごろを境に娯楽の題材となっていったことが明らかにされ、その背景として、妖怪リアリティの喪失と博物学的思考、嗜好の浸透による妖怪の「キャラクター化」が指摘された。
妖怪の「娯楽化」が決して二次的なものなどではなく、むしろ日本人の妖怪観の転換を示す重要なエポックであつたことを主張したのである。
水木しげると「妖怪」研究のかかわり
京極夏彦氏は、『日本の妖怪学大全』に寄せた論功「通俗的『妖怪』の会ねんの成立に関する一考察」で、現在の「妖怪」概念がアカデミズムと大衆文化との「共犯関係」によって成立したものであることを、明治以降の「妖怪」に関する言説を詳細に検討することによってあきらかにし、大きな衝撃をもたらした。
これもまた、大衆文化のなかの妖怪が、妖怪研究にとって二次的なものであるどころか、むしろ「研究」というものの特権性をゆるがすような意味をひめていることをあきらかにしたといえる。
京極氏は、平成一九ねんの『妖怪の理 妖怪の檻』で、この問題をさらに追及し、水木しげるという木代のクリエイターが、アカデミズムと大衆文化の往還のなかで醸成されてきた「妖怪」概念を継承しつつ、現在の「妖怪」概念を完成させていったことを指摘している。
妖怪研究とエンターテイメント
八〇年代移行の妖怪研究の活況は、また興味深い現象を生み出した。それは、妖怪研究とエンターテイメントとの結びつきである。
もともと、妖怪研究とエンターテイメントは相性がよいといえる。かつての妖怪ブームを生み出した水木しげるの「ゲゲゲの喜太郎」が、柳田國男の「妖怪名彙」に基づいて妖怪キャラクターを生み出し、また江務の『日本妖怪変化史』や吉川観方の『絵画に見えたる妖怪』、藤澤衛彦の『妖怪画談全集』などに紹介された妖怪画をもとに妖怪画をもとに妖怪を描いているさきはよく知られている。
八〇年代以降は、エンターテイメントの衒学的傾向がさらに強まり、虚構にリアリティをもたせるための仕掛けとして、妖怪研究の成果を参照することが当たり前のようになっていった。