悪の報い ~鬼・天狗・妖怪~
信仰から娯楽へ
鬼は本来多義的な属性をもったものだったが、次第に霊としての性格が薄れていき、実体としての妖怪像が強まっていった。
とりわけ説話文学の中にあっては人間を害する妖怪として登場してきた。
ただそれでも、仏敵としてばかりでなく、仏の掌中で踊らされる存在としても描かれていた。
それはつまり、人間を仏道に導くための駒にすぎなかったといえよう。
しかしその鬼たちが仏の掌に収まらなくなった時、人間にとって救いようのない不条理な物語=怪談がうまれるのだ。
天狗は仏敵として明確な立ち位置にあったが、本来、知性豊な僧であったから、山岳修行の徒を密かに助ける性格を持つものが現れた。果ては合戦における伝令役まで自発的に行うものも現れるに至った(『太平記』巻十)。
このような忌まわしい姿になりたいと願う人間は滅多に出ないのであり、それゆえに、動物と同様に、悪の報いとして生まれ変わる、もしくは変貌する対象となった。
生きながら変わるものもいれば、死後に変わるものもいた。
生物の中にはそうした因果とは関係なく、また人間の生活ともかかわりなく、偶然遭遇するに過ぎないものもいれば、進んで害をなさんとするものもいた。
森羅万象、妖怪にならざるものはないが、中でも古代中世の説話文学にあっては、鬼が主流をなしていたといえよう。
そして中世には天狗が盛んに語られるようになる。
一方、生物では狐や狸の怪異が話題性に富み、巷のうわさ話しから語り物、あるいは物語絵巻まで題材として取り上げられたのだった。
笑い話の中の妖怪
鬼は単なる怖い存在としてではなく、ドジで可愛いキャラクターとしても徐々に派生していく。
もともと人を害するばかりか、仏にさえ敵対する魔物として絵描かれることもあった鬼。
それは当然、物語では、英雄的キャラクター(源頼光や渡辺綱など)によって、あるいは高僧の法力や仏菩薩によって、最終的に退治されるものとして描かれる。
鬼が人間に退治される、仏力に適わないという前提にたつと、鬼をいかに恐ろしく語るかという叙述にこだわる必要もなくなるだろう。
緊迫したバトル展開ではなく、ギャグ調の叙述に改めても差支えないわけだ。
実際、中世後期にもなると、人を食べようとした鬼がかえって浄化されてしまう話がちらほら出て来る。
鬼に食べられた鬼女
『直談因縁集』には、従来の仏教説話にみられる鬼とは少し違う鬼が出で来る(巻八-三十三)。
鬼の大将が、家来の鬼たちに人を獲ってくるように脅迫がまいの命令を下す。
そこで鬼たちは都に出て人を捕ろうとするが、『法華経』をの功徳を説く説法を耳にした結果、ことごとく金色(コンジキ)になってしまう。
これに先立って金色になっていた鬼女が京都東山にいた。この女は鬼たちに頼んで獲物として大将に差し出すよう頼む。
鬼たちは罰を受けずに済むから引き受けた。
はたしてその鬼女は鬼の大将に食べられてしまった。
鬼女はまた鬼たちに『法華経』を書写することを頼んでおり、その甲斐あって、死後、極楽往生の素懐を遂げた。
このように、鬼であっても、自分を犠牲にすることで自らを浄化し、且つ眷属の鬼たちにも仏道に入る機会を与えたのだった。
戦国期から江戸期の鬼
『直談因縁集』にしろ「み血脈」にしろ、大将の鬼(閻魔王)が我意をとげられないところに可笑しさがあり。
先述した通り、鬼は人間を害することはあっても、仏力には敵わない存在として描かれてるが、ここでもその原則に則ったものであつた。
一方御伽草子『強盗鬼神』では、やはり地獄に罪人が来なくなったために、閻魔王の目を盗んで、獄卒たちが三途の川や死出の山、賽の河原で山賊や追剥ぎといった強盗行為を繰り返すようになったことが記されている。
阿弥陀如来の要請を請けて閻魔王がそれらを罰することになるわけだが、ここでも閻魔王の権威を地におとすような設定で描かれている。
かつて『日本霊異記』において、獄卒の閻魔王に対する不実な一面が描かれていたが、中世になって、そうした設定は見られなくなった。
しかし戦国期のころから再び可笑味をもった鬼の話がふえていったのである。
『醒酔笑』には地獄の赤鬼を可愛いキャラクターに造形した話(第五)や織田信長のもとにいた沼の藤六というおどけ者によって笑いの対象となつた鵺のはなし(巻六)などもみせれるが、このように、室町期から徐々にその片鱗を見せ始め、江戸時代に入って笑いの題材と化していくようになっていった。
それと並行して、怪異を楽しむ催しも増えていく。説話文学に即していえず、百物語、怪談集の流行である。