御伽草子の歴史
御伽草子を概観する
およそ十五世紀(室町初期)から十七世紀後半(江戸初期)にかけて、おびただしい数の短編物語が創られた。
四百種を優に超えており、現在でも新種の作品が見いだされて増加している。
テキストの多くは絵巻や、奈良絵本と呼ばれる絵入写本である。江戸初期頃には、絵入の版本となって流通し始めた。
この物語草子類をお伽草子(御伽草子・室町物語)と呼んでいる。
鎌倉時代までの物語文学は貴族の恋愛物語が中心であった。
対して、御伽草子はじつに多様な内容となっている。
それは、主要人物の階層、素材、物語の舞台から、公家物語(主に歌人伝説、恋愛)、英雄・武家物語(合戦・冒険・怪物退治)、宗教物語(寺社縁起。発心出家・稚児愛玩)、庶民物語(立身出世・祝言)、異類物語(異類婚姻・動植物の擬人化による合戦・恋愛・出家)、異国・異郷物語に分けられる。
こうした豊穣ぶりは、室町・桃山時代の政経動向や文化状況と相応している。
武家は公家の学芸を尊び、盛んに摂取している。守護大名、戦国大名は自国の繁栄を図って物資交易を勧めた。
街道には宗教者、芸能者、巡礼者もゆきかうようになり、都鄙間の情報交流もなされた。
都では庶民の商工業が発達し、なかには職芸によって公武の屋敷に立ちまわる者もいた。
仏教の諸宗派は競って教導をおこない、貴庶は転生や彼岸を強く意識した。
対外面では中国の明、朝鮮の李朝の文物を取入、十六世紀末期にはヨーロッパ文化の流入があった。
そうした時代の新生面が物語文芸に画期的な展開をうながした。
主人公に武家や庶民の女性を据えるようにもなった。
物語は知識啓蒙を盛んに行い、テーマは神仏由来、英雄賛嘆、立身出世も語って幅広くなった。
笑いを眼目とする物語には、狂歌や俳諧連歌が流行し、芸能では狂言が盛行したように、当時の容器な気風が映じている。
御伽草子のなかの妖怪物語
お伽草子において、妖怪が跋扈している代表的な作品は次の四種である。
『付喪神記』(崇福寺蔵)とその別本(寛文六年奥書本の江戸後期摸本)、『土蜘蛛草子』
(東京国立博物館蔵)、『化物草子』(光信絵巻、ボストン美術館蔵)であり、いずれも絵巻である。
『付喪神記』
この作品の意義はその書名にはじめて「つくも神」の語を用いたことである。
これによって、つくも神は文化、文学史上に市民権を得た。
本来は「九十九髪」と書いて白髪の老婆を意味していたが、転じて古くなった道具や器物類をもしめすようになった。
さらにそれには霊魂があるとみて、異形のものに化けると考えるようになった。
なお、十八世紀に鳥山石燕が著した『百鬼徒然袋』の妖怪は、ほとんどがつくも神である。