あらゆる物が妖怪になりえる文化
曖昧な動物と妖怪のちがい
鳥獣虫魚の四生のうち、ここではごくわずかしか例示してこなかったが、その他にもあらゆる物が妖怪になりえる文化がわが国にはある。
「一寸の虫にも五分の魂」という諺があるように、虱や蚤でさえ、説話・物語の主人公になったのである。
お伽草紙『白身房』は虱の物語であり、これもその一例である。『古今著聞集』にも人間に仇を報じる虱の話しが載る。(第六九六話)。
つまり、魂が宿るものならば、どれでも妖怪化の余地があるわけである。
有情のものばかりでなく、非常の草木や器物も怪異をなすものとなった。
動物と妖怪の境は曖昧と言わざるを得ないのである。
単なる動物と思いきや、変化して怪異をなすものもいるからである、狼や羆と違い、そのままでは人を襲う力の弱い動物は特殊な能力で人に害をなすものとしんじられたのである。
実在の動物は外見から分からない能力を発揮するが、実際見た者がいない動物、すなわち未確認動物は外見に大きな特徴がある。鵺や土蜘蛛がその代表といえる。
人間とこれらは人里とそれ以外というように、原則として住み分けがなされている。
不運にも遭遇すれば襲われるが、基本的に人里のウチで襲われること稀だ。
それらは人間とは無縁にいきる生物で、人間をみつければ攻撃するが、多くは人間不在でも生きていかれるものだろう。
しかし、一方で、人間が死後畜生道とは別に、畜類や虫に転生することが多くみられるのも事実である。
〈報い〉というと仏教的な印象をうけるが、前世の因縁によって求むと求めざるとにかかわらず、生物に生まれかわることも多かった。
『古今著聞集』にはみずから望んで犬になった者の話が載るが(第六八九話)、多くは自分の意志とは別に、前世の何らかの行いにふさわしい生物の姿に転生したのである。
『妖怪学の基礎知識』を要約