川・沼の妖怪 ~アズキトギ・大ウナギ・河童~
川・沼の妖怪 ~アズキトギ~
アズキトギ(小豆とぎ)は・アズキアライ(小豆洗い)は、川辺で小豆をとぐ音をさせる怪。江戸時代の妖怪画では、老人の姿で描かれるているが、本来は姿を見せな声と音だけの怪である。音だけなのに、なぜ小豆とわかるのか不思議だが、小豆が神様への供え物であったのを理解する必要がある。信仰と妖怪との関連も、わすれてはならない問題である。
川や沼の怪には、姿をみせず、音だけを聴かせるというものが少なくない。『会津怪談集』(阿部左市、1936年)には「御前ケ沼」の怪の話がある。青黒い水をたたえていたというその沼には、戦国乱世に散った一人の女性の悲話があり、沼の底から機を織る音が聞こえてくるという。
これは昭和初期の記録であるが、江戸時代の『老媼茶話』にもヌマゴゼン(沼御前)という怪の話があり、この地方では有名な話のようである。
全国の池、沼、淵には、これと似た話がたくさんある。機織りは、かつては女性に必須とされた能力であった。また、機織りではなく、琵琶を弾く音が響く「琵琶淵」の話もある。この怪は、淵に落ちて死んだ琵琶法師に由来するというが、江戸時代になって、三味線が普及すると「三味線淵」の話も生じた。
大ウナギ ヌシ
『老媼茶話』には、大ウナギが僧侶に化けて毒流し(神経毒をながす漁法)をやめるよう訴える話もある。
同じく、イワナが僧侶にばけるという話もある。
これらに異様に巨大な魚類や爬虫類は、一般に、ヌシ(主)といわれる。
ヌシは生物としての面と、妖怪としもての面を併せも持った怪である。
ヌシになるのは、長い年月を生きた魚類や爬虫類が多い。
ヌシとは違うが、猿が長生きをするとフッタチ(経っ立ち)になり、猫も長生きするとネコマタになる。
植物でも、長い歳月を生きた樹木は、コダマ(木霊)になる。
動植物は生をつづけているうちに、ほかの何ものかに変異すると、われわれの先祖は考えていたのである。
ことは非生物についても同じで、長い年月にわたって使用されたきた器物もツクモガミ(付喪神)といって妖怪化する。
カッパに尻子玉をぬかれる
よく「カッパに尻子玉をぬかれる」という。
尻子玉というのは、人間の肛門にあるとされる玉であるが、実際には、そのようなものはない。
溺死者の遺体は損傷が激しく、肛門が開くので、そのように見えたのであろう。
カッパの別名にイドヌキがあるが、「イド」は臀部の意味で、尻子玉を抜くところに由来する名称である。
このように、今日ではキャラクター化されて、可愛らしいイメージが強いカッパであるが、本来は人の命を平気で奪う恐ろしい存在であった。
カッパに限らず、かつての妖怪たちは死と暴力の匂いが漂っていた。
恐怖の対象であった妖怪が、愛玩の対象に変化していったのは江戸時代のことである。