妖怪の博物誌
妖怪の博物誌
「博物誌」とは、世の中のあらゆるものを収集・分類・整理・保存しようという、人間の根源的な欲求にもとづく営為の果てに達成された知識の結晶といえる。
山の怪
むかし、山小屋で雨止みをもっていた猟師が、所在なげに地面を這うミミズをみていた。
すると、カエルが出てきてミミズを食べてしまった。猟師が「おや」と思っていると、今度はカエルが蛇の餌食に。
その後、ヘビは山鳥に食べられ、山鳥は熊にたべられる。
思わぬ獲得の登場に、猟師は銃を取り出して熊を狙うが、不意に、自分がもっと巨大な何かに襲われる予感がして、撃つのをやめてしまう。と猟師の背後から「賢い、賢い」という叫び声とともに、高らかな笑い声が聞こえて–昔話「周り持ち運命」の粗筋である。
このとき、猟師が聴いた笑い声の主は誰であろうか。いずれ、人でないのは間違いない。古くから、この国の山には人ならぬモノたちが棲むとされてきた。
「山中他界」という学術用語があるが、深山幽谷は普通の人が入ってはいけない異空間であった。
山中を行く人が耳にするテングワライ(天狗笑い)の伝承は全国にある。
この世のものとは思われけたたましい笑い声で、大抵の人は腰を抜かすが、剛の者が負け時と笑い返すと、さらに大きい笑い声が鳴り響くという。
こうなると、ヤマビコ(山彦)やコダマ(木霊)に似てくる。
福岡県のヤマオラビ(「あらぶ」は「さけぶ」の意味)は、人と大声の出し合いした挙句、殺すというから危険である。
視界のきかない山中では、聴力が研ぎ澄まされるのであろうか、この手の音の怪の話が多くつたえられている。妖怪について考える際には、人間の五感(聴覚・視覚・嗅覚・味覚・触覚)のうちの、どこに作用しているかを抑えておく必要がある。