妖怪画への関心 ~文化財として~
妖怪画への関心 ~文化財として~
昭和60年代を境に妖怪を描いた絵画資料が一般の人々の目に触れる機会が多くなっていく。
昭和62年(一九八七)の『別冊太陽 第五七号「日本の妖怪」』は、妖怪画をヴィジュアルとしてふんだんに使った画期的な本であった。とりわけ、「稲生物怪録絵巻」としてのちによくしられれるようになってく絵巻の全場面をはじめて紹介した点でも意義は大きい。
また、この年の夏に開催された兵庫県立博物館の特別展『おばけ・妖怪・幽霊・・』は、公立博物館でおこなわれたはじめての妖怪展であり、これ以降、各地の博物館・美術館で妖怪・幽霊をテーマにした展覧会が開催されるようになる。
妖怪画が「文化財」として、漸く認知されるようになったのである。
一九九〇年代になると、妖怪画への関心はさらにたかまっていく。
また、妖怪画ばかりでなく、芸能や娯楽など、広く「創作物」としての妖怪に関する研究があらわれるものこのころであった。
それまでの妖怪研究は、もっぱら民間伝承のなかの妖怪、つまりかつてはリアルなものとして恐れられていた妖怪を対象とする民俗学的な研究が中心となっていた。
しかし、九〇年代にこうしたフィクションとしての妖怪に関する研究が続々とあらわれ、むしろこちらの方が徐々に主流になっていくのである。
学校の怪談
学校の怪談ブームは、妖怪研究がエンターテインメントの分野に与えた影響の中でももっとも大きいものであろう。
「学校の怪談」は、民俗学者の常光徹が口承文芸の新たなフィールドとして追究したテーマで、すでに滅びたものと思われていた妖怪伝承が、現代においても学校という特異な空間のなかでいまだに生き続けていることを明らかにし、口承文芸研究に大きな衝撃をもたらした。
常光氏は、平成二年から九年にかけて、子供向けに「学校の怪談」を紹介した児童書を出版しており、これが爆発的な人気を博したことで、マスメディアを巻き込んだ一大「学校の怪談」ブームが起こる。
常光氏の児童書版の『学校の怪談』はテレビドラマや映画の原作となり、また「学校の怪談」を題材とした児童書や漫画が雨後の筍のように簇生していった。
この「学校の怪談」ブームは、妖怪研究が直接に社会的影響をおよぼした最大の事例といえるだろう。
妖怪という題材の通俗性が、ダイレクトに大衆文化の次元に影響をおよぼしてしまう、そうした特異な性格が、妖怪研究にはあるのだといえる。