彗星の記録と水木しげる「一反もめんの原型」
彗星の記録 彗星の記録と水木しげる「一反もめんの原型」
天武七年(六七八)冬十月に難波に長さ五、六尺の綿のようなものが風に吹かれて松林などに翻った。
人々は「甘露」だといった。
「甘露とは、中国では帝王が仁政を行うと、天が瑞祥として降らせるという甘い露で、神霊の精が脂のように凝固して、飴のような甘い味がする美露であるという。
天武十一年(六八二)八月は異変が続発し、三日の夕方には大きな星が東から西に流れ、五日は宮中の建物内に大きな虹がかかったとある。
さらに、十一日には、灰の色をした灌頂旗のようなものが空に浮かび北に流れてゆき、国毎に皆が目撃し、最後に越後の国(北陸地方)の日本海のかなたにきえていったという。
勧請旗というのは仏教の儀式などで幅の広い布を天井から長く垂らす布旗であるから、水木しげる氏が描く「一反もめん」の妖怪の原型のようなものと考えてよい。
『妖怪学の基礎知識』より