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歴史ネタ帖

妖怪は境界に住む 

妖怪は境界に踊る ~妖怪の場所論~

 昭和以降、円了式の妖怪学は「常識」となり、江馬・藤澤式の妖怪研究は「読み物」としては栄えたものの実を結ばず、民俗学は柳田の妖怪/幽霊論から脱却していなかった。

その手詰まりを「都市」と「境界」を鍵として破ったのが、宮田登『妖怪の民俗学』である。

 宮田は、近世随筆と現代の世間話を資料として、都市の妖怪は辻・橋・河原・村境といった特定の場所で出現すると説明、そうした怪異多発地点は今も昔もこの世とあの世の「境界」として受け止められている場所だと指摘した。

また怪異を見る主体が女性や子供であることにも注目、そこに巫女や稚児の霊力の痕跡を見出し、近世と現代の連続性を強調した。

宮田の妖怪研究は、怪異や妖怪といった非日常を事例として、都市を支える心意に迫るものだったといえる。それは同時代の「都市民俗学」とも軌を一にしていた。

 「境界」という分析ツールは恣意的に用いることもできるため、宮田の「境界」論が折からのバブル期、マーケティング論や都市メディア論の流行のうちに消費されてしまった感は否めない。

しかし、宮田の指摘そのものは、いまだに有効性を持つであろう。没後に刊行された同テーマの『都市空間の怪異』や、著作集『宮田登日本を語る』も参考にしてみてほしい。

 

 柳田國男は

①妖怪は出現する場所が決まっているが、幽霊はめざす相手のところへ向こうからやってくる。

②妖怪は相手を選ばないのに対して、幽霊は相手が決まっている。

③妖怪は宵や暁の薄明るい時刻に出るのに対して、幽霊は丑三つ刻(真夜中)に出る

以上のように、幽霊と妖怪の違いについて述べているが、現在ではすでに批判されつくされており、支持されないものとなっている。

 

 

カミは妖怪、妖怪はカミ  妖怪研究の転回 小松和彦の『妖怪学新考』

宮田の妖怪の民俗学は、近世と近代の連続性を強調するという点で柳田の妖怪研究と対立するものではなく、継承する面を持っていた。

柳田の妖怪研究の限界の指摘と新たな視座の提示は、その後10年を経て、小松和彦の『妖怪学新考』でなされることとなる。

 小松は柳田の「妖怪は神の零落したもの」という一直線の衰退史観を批判し、妖怪と神はどちらも超越的な存在であって区別は難しく、その存在が人間といかなるかかわりを持つかによって神とされるか妖怪となるかが決まる、と説明した。

つまり神が妖怪となるのは決して衰退ではなく、民俗社会の動的な変化の一側面であって、逆に妖怪が神に祀りあげられる場合もあると説いたのである。

これは実体的に論じられてきた「妖怪」を、人間と人間社会の認識の問題にとらえなおすことであり、そしてそれは「総合人間学としての妖怪研究」の宣言でもあったのである。

これにより、妖怪研究は新たなステージへと進んだ。

 

 

 

妖怪研究の現在

小松和彦著『怪異の民俗学』(全8巻)、『妖怪文化入門』

 妖怪が学問上の俎上に上がって100年以上。

妖怪についての報告や論考が、民俗学の雑誌や報告書を中心に数多く発表されている。

しかし古い学術雑誌などは大学図書館や専門図書館にしか所蔵されておらず、また膨大な資料から目当ての論考を探すのもたいへんである。

 シリーズ『怪異の民俗学』はそうした、重要な意味をもちながら閲覧が困難な報告・論文を再録した、妖怪研究のアンソロジーである。

全8巻の校正は、憑き物、妖怪、河童、鬼、天狗と山姥、幽霊、異人・生贄、境界と怪異・妖怪研究のほぼすべてを網羅し、民俗学のみならず医学雑誌や自費刊行の稀観本など幅広い分野からの報告・論考を再録している。

各巻の解説をもとめた『妖怪文化入門』も刊行されている。

 

妖怪博士<偽怪>に喝!  哲学からの妖怪研究 井上円了

 明治の妖怪博士といえば、哲学館<いまの東洋大学>を起こした井上円了であった。円了の妖怪学は、現在『妖怪学全集』(全6巻)として読むことができる。

 円了の妖怪学は、妖怪を合理的に検証して否定し、迷信・妖怪撲滅を目指した啓蒙活動とおもわれがちである。

しかし円了は単なる近代合理精神の喧伝者ではなかった。

 当時の「妖怪」という言葉は、現在では「オカルト」や「超常現象」と言い換えられる広さを持っていた。

円了の妖怪学も、河童や憑き物といった存在だけでなく、占いやまじない、うまれかわりや食べ合わせといった現象にまで及んでいる。

円了の妖怪学では、そうした妖怪を「虚怪」と「実怪」に分けて考える。

これは、創作や錯覚である「虚怪」を排し、何らかの現象が存在する「実怪」から物理的・心理的に説明のつく事象を仕分け、「超理的妖怪」である「真怪」を定義するための分類である。

これまで漠然と不思議がられていたことを合理的に検証し、近代的世界観(つまり哲学)にそって再構成し、本当の不思議を明らかにすることこそ、円了の目的だったのである。

そのため円了は積極的に現地調査を行い、新聞記事その他の資料も貪欲に収集した。

『妖怪学全集』を明治時代の資料集としてよむことができる。

 

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