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  1. 猪苗代城の妖怪・亀姫
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歴史ネタ帖

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消えた死体『日本書紀』に現れる怪異 推古二十一年(六一三) 聖徳太子が片岡で飢えた旅人を路上で介抱するが、その旅人はやがて死ぬ。埋葬した後、その墓を開いてみると、死体はなくなっていて、その…

雪中の幽霊 塩沢の近くに関山という村があり、その近くを魚野川がながれている。流れが急なので橋がいつも流失し、仮設の橋を設けていたが、その上に雪が積もると過って川に落ち、溺死する人が多かった。…

ええじゃないか どうして、このようなことが起こったのか。 それについては、様々な説がある。 ある人は、これは討幕派が計画的に行ったことではないかという。 あらかじめ用意したお札などをまき散らかして、このような騒ぎをおこし…

妖怪と娯楽・大衆文化 江戸時代以来、妖怪は娯楽や大衆文化と深いつながりがあることは以前から認識されてはいたものの、それはあくまで二次的なものとみなされ、正面からとりあげられることはほとんどなかった。 しか…

葦名盛氏と雪村 蘆名家一五代葦名盛舜(もりきよ)の子として生まれた葦名盛氏は(大永元年~天正八年 一五二一~一五八〇)は、天文二二年…

妖怪画への関心  ~文化財として~ 昭和60年代を境に妖怪を描いた絵画資料が一般の人々の目に触れる機会が多くなっていく。 昭和62年(一九八七)の『別冊太陽 第五七号「日本の妖怪」』は、妖怪画をヴィジュア…

伊東彦三郎と猪苗代盛胤の墓伊東氏の菩提寺、舘村真言宗岩上寺境内には累代の墓碑が見当たらない。これは猪苗代氏の場合とも共通で同地にも最後の城主で伊東彦三郎と、一時は盟友であった盛胤の墓碑はささやなながら存するほかは、累…

室町末期の横沢氏(猪苗代湖の南側の土地を領有)伊東河内については不明や疑義の点が多く、至徳の頃(北朝方にてしようされた年号、1384年~1387年まで)田面の寺にて自滅して失いたり、といい、そののち大永三年(1523年)には会津葦名…

妖怪研究の退潮と妖怪ブーム 昭和三一(一九五六)に柳田國男の『妖怪談義』が刊行されたのち、あたかも妖怪の問題は柳田國男によって解決済みとされたかのように、新たな妖怪論が民俗学の中から現れることはなくなり、妖怪に関する報告…

江戸時代の鬼神論 中世までは、さまざまな怪異は神仏からのメッセージとしてとらえれ、それがいかなる事態の予兆であるのかを解釈することが、怪異にたいする「知的」な対応であった。神祇官や陰陽寮といった公的機関で…

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猫は、真実を見ている。 はじめまして、黒坂メイ(ペンネーム)てす。「分かりやすい・簡単・安心して使える歴史ネタ」を提供し、「そうなんだなぁ」と歴史を身近に感じて頂けるホームページを目指しています。 宜しく、お願いいたします。

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