役 小角(えん の おづぬ ) ~修験道の開祖~
役 小角(えん の おづぬ ) ~修験道の開祖~
舒明天皇6年(634年)~ 大宝元年6月7日(701年7月16日))
飛鳥時代の呪術者で、役行者(えんのぎょうじゃ)、役優婆塞(えんのうばそく)といった呼び名でも広く知られている。
姓は君。 日本独自の山岳信仰である修験道の開祖とされている。
実在の人物だが、伝えられる人物像は後世の伝説によるところが大きい。前鬼と後鬼を弟子にしたといわれる。天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など多くの修験道の霊場に、役行者を開祖としていたり、修行の地としたという伝承がある。
役氏(役君)は三輪氏族に属する地祇系氏族で、加茂氏(賀茂氏)から出た氏族であることから、加茂役君(賀茂役君)とも呼ばれる。役民を管掌した一族であったために、「役」の字をもって氏としたという。また、この氏族は大和国・河内国に多く分布していたとされる。
続日本紀
小角の生涯は伝承によるところが大きいが、史料としては『続日本記』巻第一文武天皇三年五月丁丑条の記述がある。
日本の公式な歴史書にある唯一のものであるが、執筆の時期は役小角が亡くなってから約100年も後の頃と考えられる。
丁丑。役君小角流于伊豆島。初小角住於葛木山。以咒術稱。外從五位下韓國連廣足師焉。後害其能。讒以妖惑。故配遠處。世相傳云。小角能役使鬼神。汲水採薪。若不用命。即以咒縛之。
(大意)
文武天皇3年5月24日、役君小角を伊豆大島に配流した。そもそも、小角は葛城山に住み、呪術で称賛されていた。のちに外従五位下の韓国連広足(からくにの ひろたり)が師と仰いでいたほどであった。ところがその後、ある人が彼の能力を妬み、妖惑のかどで讒言した。それゆえ、彼を遠方に配流したのである。世間は相伝えて、「小角は鬼神を使役することができ、水を汲ませたり、薪を採らせたりした。もし鬼神が彼の命令に従わなければ、彼らを呪縛した」という。
※韓国氏は物部氏の分流であり、渡来人ではない。
広足の呪禁は道教的な術であったと考えられる。
古代の有力氏族である物部氏の分かれで、先祖が遣わされた国にちなんで改姓したと伝えられる。
在来の氏族ではあるが、その系譜から外来の知識・技能を学ぶに適した伝統があったと思われる。