『日本書紀』に現れる怪異 消えた死体・UFO
消えた死体
『日本書紀』に現れる怪異
推古二十一年(六一三)
聖徳太子が片岡で飢えた旅人を路上で介抱するが、その旅人はやがて死ぬ。埋葬した後、その墓を開いてみると、死体はなくなっていて、その旅人は聖人だったという話は、処刑されたイエス・キリストの遺体が無くなっていたという話と共通するところがあり、興味を引く。
同二十七年(六一九)
摂津国の堀江に仕掛けた網に魚でもなく、人でもないが、子供のような形をした不思議なものがかかっていたとある。これは妖怪でもなさそうであるが、いったい何が網にかかっていたのだろうか。
同三十五年(六二七)
陸奥国に狢が人に化けて歌をうたったという。後年、皇極天皇の時代でも三輪山の猿が眠りながら歌をうたったという話もあるので、この頃はまだ動物たちも人間に遠慮することもなく高吟放歌するのんびりとした時代だったのだろうか。
舒明天皇九年(六三七)二月
大きな星が雷のような音を立てて東から西へと流れていった。皆は流星の音だと騒いだが、僧旻法師という僧侶がいうには、流れ星ではなく、天狗が吠えた声だという。この天狗は後の森に棲む鼻の高い妖怪ではなく、天狐ともいい「アマツキツネ」と呼ばれた天空にいる妖怪であるらしい。
『空を飛ぶモノ』 UFO
西暦六五五年、皇極天皇が重祚し、斉明天皇として明日香板蓋宮で即位する。天智天皇、天武天皇の母君である。
蘇我氏が滅亡し、大化の改新(六四六年)が施行されて、天皇を中心とする中央集権国家が確立されようとしていた時代である。
この斉明天皇が即位した年の五月一日に不思議なものが空を駆け巡ったとある。
龍に乗ったものが大空を飛翔し、その風貌は唐人に似ていた。
青い油の笠を着て、葛城山から飛んで生駒山の方に隠れ、昼頃になって難波の住吉大社付近の松嶺というあたりから西に向かって飛び去った。
今でいうとUFOである。
この時代には五節供の習俗は中国から入って来てはいたが、端午の節供に鯉のぼりをあげる習慣はなかったので、これは鯉のぼりの迷走ではない。
あるいはだれか龍をかたどった吹き流しのような凧でもあげたのであろうか。