カテゴリー:戦国時代
南九州の名門・島津氏島津氏はもと惟宗氏といったが、平安時代末期に近衛家領島津荘の役人になってから、島津氏を名乗るようになったといわれている。鎌倉時代になると、源頼朝から薩摩・大隅・日向の三カ国の守護に任ぜられ、それ以来、この地域一帯…
九州六ヶ国の守護を兼ねた大友氏島津氏はもと惟宗氏といったが、平安時代末期に近衛家領島津荘の役人になってから、島津氏を名乗るようになったといわれている。鎌倉時代になると、源頼朝から薩摩・大隅・日向の三カ国の守護に任ぜられ、それ以来、こ…
土佐を制した長宗我部氏長宗我部氏は、鎌倉時代から土佐国(高知県)長岡郡宗我部郷の地頭であった。その長宗我部氏が、土佐一帯に勢いを振るうようになったのは、応仁の乱の際、戦乱を逃れた公家一条氏が、その荘園である幡多荘に住み着き国司を名乗…
西国の勇者 ~大内氏VS尼子氏~16世紀の初めといえば、東国では北条早雲や斎藤道三が、その力と策略をもとに「国盗り」を進めていたころである。その同じころ、西国筋では、出雲国(島根県)の富田城を本拠とする尼子氏と、周防国(山口県)の山…
川中島の戦い武田信玄と上杉謙信とは、川中島で五回にわたって戦っている。この川中島のある北信濃・善光寺平の地は、両者のいずれもが重視していたところであった。越後の上杉謙信にしてみれば、ここは本拠地春日山城から、60キロほどしか離れいて…
北条早雲が死んで間もなくのころ、美濃国(岐阜県)では、松浪庄五郎(まつなみしょうごろう・・のちの斎藤道三)が、野望をつのらせていた。京都で浪人の家に生まれた彼は、幼いころ寺にあずけられ、法蓮坊と呼ばれていたという。…
☆伊最初の戦国大名 勢新九郎長氏の登場1469年(文明1)、つまり応仁の乱がはじまってから2年ほどあとのこと、東海道を東へ東へと進んでいく七人の男たちがいた。荒木兵庫頭(あらきひょうごのかみ)、多目権兵…
毛利元就毛利元就は、安芸国(広島県)吉田の郡山城で生まれた。元就は、二男であったために、郡山城の西にある猿懸城に住むことになった。ここは、城というよりは、土づくりの塀をめぐらしただけの粗末な砦のようなものであった。しかも、…