妖怪から怨霊へ 井上内親王
井上内親王
平城京時代の末期に即位した弘仁天皇の宝亀七年(七七六)五月末
〇災変がたびたび起こるので大祓をし、六百人もの僧をして宮中、朝堂で大般若経を読ませた。
〇九月には、二〇ばかり毎夜、京中に瓦石土塊が降った。これは後の「天狗のつぶて」の原型といえる現象であろう。
〇宮中でしきりに「妖恠」(妖怪)があったので大祓をし、二十一日には七百人もの僧侶をよんで宮中で大般若経を転読させた、とある。
「妖恠」という文字がここで史書『続日本紀』に登場している。
どういう怪異現象が起きたかは書かれていない。
この年は、天候不順が続き、光仁天皇及び山部親王(桓武天皇)も体調不良であったという。
その年の暮れと翌年一月、二度にわたって井上内親王の墓を改葬し、彼女を元の二品の位に復位させている。
宮中内外の怪奇現象が井上内親王の祟りであると認めたからこそ、彼女の墓を改葬し、復位させたとこれらの記述から推測することができる。こうして井上内親王は日本ではじめて女性の怨霊になっていくのである。
宝亀十年(七七五)六月二十三日
周防国(山口県)に母井上親王とともに死んだはずの他戸親王を名のる男が現れ、民を惑わせたので、流罪に処した。
という怪しげな話が語られ、実は本人であったか、と語り継がれてゆく。
このあたりから、妖怪から怨霊へ、怪異から祟りへ、平城京から平安京へと時代は変化してゆく。
『妖怪学の基礎知識』