平氏打倒ののろし1180(治承4)年の春4月、平清盛は、長い間の望みをやっと果たし、喜びの絶頂を味わっていた。このとき、高倉天皇が退位して上皇となり、清盛の娘、徳子が生んだ言仁(ときひと)親王が、3歳の若さで即位(安徳天皇)したので…
西郷隆盛の考え 西郷は、士族の行方を心から心配していた一人であった。と同時に西郷は、新しい政治の経緯に苦々しい思いをさせられてもいた。 彼に進言した鳥尾小弥太(もと長州藩 士・陸軍少将)は、その中で、「今や文明開化と称し米を父とし…
文明開化と過激 ~伝統文化をこわした人たち~ 旧弊のひとたちとは反対に、「世の中は新しくなったんだ」「古いものは、もういらないんだ」と、古いものをすべて打ちこわしてしまおうとする人々もいた。 1870年(明治3)、熊…
高まる士族の不満 ~神風連の乱~旧肥後藩であった熊本県には大きくわけて3つの党派があった。1つは、学校党とよばれた藩校時習館の出身者、旧藩の上士を中心とした士族たちで、これが最も多かった。1つは、洋学党で、開明的な人…
東北の日光見禰山 ~土津神社~ 東北の日光といわれる建造物群が猪苗代町の見禰山にありました。 それは、会津松平家の祖・保科正之をまつる猪苗代町の見禰山で、猪苗代湖を一望する磐梯山麓の…
明六社の人々 文明開化を進めようとしたのは、政府だけではなかった。民間の人々の中にも、「これからの日本は、文明開化をめざさなければならない。それは衣食住などを西洋風にまねるだけではない。まず大切なのは封建…
妖怪は境界に踊る ~妖怪の場所論~ 昭和以降、円了式の妖怪学は「常識」となり、江馬・藤澤式の妖怪研究は「読み物」としては栄えたものの実を結ばず、民俗学は柳田の妖怪/幽霊論から脱却していなかった。その手詰ま…
妖怪を、あつめてならべてかんがえて ー江戸風俗の妖怪研究 江馬務 『日本妖怪変化史』ー 近代的妖怪研究の始祖最後の1人は、風俗史学の江馬努である。当時の風俗史学は、陋習(ろうしゅう)・迷信などとして退…
妖怪は神様である。 ~民俗学の妖怪研究 柳田 國男『妖怪談義』~ 民俗学は妖怪も研究対象にする学問分野だと思われている。そうしたイメージは、民俗学の祖といわれる柳田國男自身の著作に負うところも大きい。…
妖怪概念とは「モノ化するコト」 京極夏彦は『妖怪の理、妖怪の檻』で、妖怪概念とは「モノ化するコト」である、と言っている。怪異な「コト」が、その現象を引き起こす「モノ」の仕業とされ、そのモノが現実に存在す…