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  1. 猪苗代城の妖怪・亀姫
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歴史ネタ帖

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討幕の密勅を手にした西郷隆盛に、怖いものはなかった。目障りだった坂本龍馬も、この世にいない。龍馬よりでだった後藤象二郎も外し、西郷は着々と策を練っていた。 密勅を書いた中山忠能(ただやす)、正親町実愛(さねなる)、中御門経之…

天正17年(1589)摺上原合戦前後5月4日 安達郡阿子島城へ御働きあり、城廻り御巡見有り、まず外城攻取り玉ふへき由仰られ、城主阿子島治部方より伊達成実を頼み、早速に外城攻めとられ頼みなし、城を明け渡し退くべし、願くば士卒の…

 七ケ宿街道 白石市の奥、七ケ宿街道は、仙台と会津の秘密会談が行われたところである。 七ケ宿町役場がある関宿。ここで会津藩降伏謝罪歎願を検討する三藩首脳(仙台藩・但木土佐、米沢藩・木滑要人、会津藩・梶尾平馬)の秘密会談がおこ…

西郷の罠 薩摩の西郷は、じっと次の策を練った。 西郷に第三の道はなかった。あるのはただひとつ、討幕だった。将軍慶喜の首をとることだった。そのために薩摩を討幕で固めることが急務だった。国元は必ずしも討幕一色ではなかった…

一人芝居の大政奉還 慶応3年(1867)10月3日、京都二条城に土佐の後藤象二郎と福岡孝悌(たかちか)の姿があった。2人は老中首座の板倉勝静に、土佐藩主山内容堂の建白書を手渡した。 将軍徳川慶喜は、よくできていると感心してこ…

幕府の誤算 ~鳥羽伏見の戦い~誤算 その1鳥羽伏見の戦いは、将軍徳川慶喜の優柔不断な性格から起こった。慶喜は混乱した事態を収拾すべく大政を朝廷に返上した。これが幕府の誤算の始まりである。薩摩の西郷隆盛は、一気にクーデターを断…

近世の種痘 種痘とは痘瘡(とうそう)(天然痘 てんねんとう)の予防接種のことで植痘(うえほう)ともいいます。 18世紀末に、人痘と牛痘との免疫上の関係をつくることに成功したのが、イギリスのエドワード・ジェンナー(1749~1…

三春町にあります紫雲寺境内の「はらきりの梅の碑」紫雲寺三春町にある「高乾院」です。案内板の脇の階段を上る…

仙台輪王寺にああります、飯沼貞吉(後に改名して貞雄)の墓です。白虎隊士自刃者唯一の蘇生者、飯沼貞吉少年(後貞雄と改めた)は印出新蔵の妻ハツに助けられ、後通信省の技師となり仙台通信局工務…

日橋川から猪苗代湖を望む (木々の間の向こう側に見えるのが猪苗代湖) お亀ちゃんの話 むかし、むかし、猪苗代湖の北側では、猪苗代城もあり…

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猫は、真実を見ている。 はじめまして、黒坂メイ(ペンネーム)てす。「分かりやすい・簡単・安心して使える歴史ネタ」を提供し、「そうなんだなぁ」と歴史を身近に感じて頂けるホームページを目指しています。 宜しく、お願いいたします。

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