七ケ宿街道 白石市の奥、七ケ宿街道は、仙台と会津の秘密会談が行われたところである。 七ケ宿町役場がある関宿。ここで会津藩降伏謝罪歎願を検討する三藩首脳(仙台藩・但木土佐、米沢藩・木滑要人、会津藩・梶尾平馬)の秘密会談がおこ…
西郷の罠 薩摩の西郷は、じっと次の策を練った。 西郷に第三の道はなかった。あるのはただひとつ、討幕だった。将軍慶喜の首をとることだった。そのために薩摩を討幕で固めることが急務だった。国元は必ずしも討幕一色ではなかった…
一人芝居の大政奉還 慶応3年(1867)10月3日、京都二条城に土佐の後藤象二郎と福岡孝悌(たかちか)の姿があった。2人は老中首座の板倉勝静に、土佐藩主山内容堂の建白書を手渡した。 将軍徳川慶喜は、よくできていると感心してこ…
幕府の誤算 ~鳥羽伏見の戦い~誤算 その1鳥羽伏見の戦いは、将軍徳川慶喜の優柔不断な性格から起こった。慶喜は混乱した事態を収拾すべく大政を朝廷に返上した。これが幕府の誤算の始まりである。薩摩の西郷隆盛は、一気にクーデターを断…
近世の種痘 種痘とは痘瘡(とうそう)(天然痘 てんねんとう)の予防接種のことで植痘(うえほう)ともいいます。 18世紀末に、人痘と牛痘との免疫上の関係をつくることに成功したのが、イギリスのエドワード・ジェンナー(1749~1…
三春町にあります紫雲寺境内の「はらきりの梅の碑」紫雲寺三春町にある「高乾院」です。案内板の脇の階段を上る…
仙台輪王寺にああります、飯沼貞吉(後に改名して貞雄)の墓です。白虎隊士自刃者唯一の蘇生者、飯沼貞吉少年(後貞雄と改めた)は印出新蔵の妻ハツに助けられ、後通信省の技師となり仙台通信局工務…
日橋川から猪苗代湖を望む (木々の間の向こう側に見えるのが猪苗代湖) お亀ちゃんの話 むかし、むかし、猪苗代湖の北側では、猪苗代城もあり…
那須 殺生石殺生石の伝説 鳥羽上皇が寵愛したという伝説の女性、玉藻前が九尾の狐の化身(妖狐)で、陰陽師の安倍泰成に見破られて東国に逃れ、上野介広常と三浦介義純が狐を追いつめ退治すると狐は石に姿を変えたという伝説があ…
大久保利通 ~富国強兵を進めた維新の指導者~大久保利通・・・・岩倉団長とともに欧米に出かけて本当によかった。条約改正では恥かいたが、欧米の進んだ制度や産業を見学できた。これを日本で生かそう。藩閥せいじなどと、うだ…