カテゴリー:近世
仙台輪王寺にああります、飯沼貞吉(後に改名して貞雄)の墓です。白虎隊士自刃者唯一の蘇生者、飯沼貞吉少年(後貞雄と改めた)は印出新蔵の妻ハツに助けられ、後通信省の技師となり仙台通信局工務…
日橋川から猪苗代湖を望む (木々の間の向こう側に見えるのが猪苗代湖) お亀ちゃんの話 むかし、むかし、猪苗代湖の北側では、猪苗代城もあり…
那須 殺生石殺生石の伝説 鳥羽上皇が寵愛したという伝説の女性、玉藻前が九尾の狐の化身(妖狐)で、陰陽師の安倍泰成に見破られて東国に逃れ、上野介広常と三浦介義純が狐を追いつめ退治すると狐は石に姿を変えたという伝説があ…
亀です。 毎日、重い碑を背負っております。 これは、亀跌(きふ)といいます。かめの形に刻んだ碑の台石です。転じて、碑の異称とか。見るからに、重いものを背に載せて踏ん張っ…
武家の食事風景です。 こちらは、鳥田家の食事風景です。 坂本龍馬の長崎初上陸の地は、島原だったという案内板です。 島原の武家屋敷の街並みが保存されていて、散策できます。…
池田光政 姫路城主 池田光政と南総里見八犬伝江戸前期の備前岡山藩主。池田利隆の子。初名は幸隆。父歿後、播磨藩を継ぐが、幼少を理由に減封され鳥取城へ移る。元和9年(1623)将軍徳川家光の偏諱をうけて光政と称する。のち鳥…
殉死 ~ 伊達政宗の孫光宗 三慧院 ~ 七人の殉死者 仙台松島、瑞巌寺の左脇にある円通院の奥に三慧院がある。 ここは、伊達政宗の孫光宗の菩提所で、正保4年55月仙台第二代伊達忠宗の建造…
五箇条の御誓文由利公正の案とその修正 1886年(慶応4)1月、ちょうど戊辰戦争が始まったころのことである。できたばかりの新しい政府には、しなければならないことがいくらでもあった。そのため、連日のように会…
奥羽越列藩同盟 新政府は、奥羽鎮撫使総督府を設置し、その参謀で長州藩の世良修蔵が東北地方の諸藩恭順を促すために仙台藩に赴いた。ところが世良は、官軍の権威を笠にきて放漫であったため、憎まれて仙台藩士の手で暗殺されてしまっ…
江戸城の明け渡し 東征軍本体が駿府に迫ったころ、将軍慶喜は上野寛永寺にこもって恭順の意を表し、徳川家の救済と家名の存続を嘆願していた。その慶喜を意を受け、さらに徳川陸軍総裁であった勝海舟の手紙をあずかって駿府に向かい、大総…