カテゴリー:近世
相楽総三と赤報隊 東征軍本体が勇躍して進撃していたころ、別動隊として活躍する人々もいた。東山道を東へ進んだ赤報隊も、そのひとつである。その首領は、先に西郷隆盛の命を受けて、江戸市中の混乱に一役かった相…
鳥羽・伏見の戦い 1868年1月2日、将軍徳川慶喜をおしたてた幕府軍1萬5千は、「討薩除奸」(薩摩を討ち、朝廷から悪人を取り除く)を旗印に、大坂城を進発した。幕府軍の中心になったのは、会津と桑名の藩兵であり、会津藩先鋒の部隊は鳥羽…
戊辰戦争 慶応4年(1868年)は、十干十二支の戊辰の年に。前の12月に王政復古が成功し、新しい政府による政治がはじまったこの年は、3月には新しい政治の大方の方針を示した五箇条の御誓文がだされ、7月には江戸を東京に、9月…
ええじゃないか どうして、このようなことが起こったのか。 それについては、様々な説がある。 ある人は、これは討幕派が計画的に行ったことではないかという。 あらかじめ用意したお札などをまき散らかして、このような騒ぎをおこし…
王政復古の大号令 徳川慶喜による大政奉還、その一方では薩摩・長州藩らを中心とする倒幕の準備、という情勢の中で、1867年終わりころの京都・大坂は騒然とした空気につつまれていた。 その京都・大坂をめざして、各藩の兵が続々と…
薩長同盟 1866年1月、長州の木戸貫治(孝允)は、薩長同盟を締結するために、京都の薩摩藩邸を訪れた。 連日歓待を受けたが、しかし薩長同盟の話しは薩摩側からは出ない。長州からも持ち出さない。いずれ…
江戸幕府の最後1867年の幕府と薩長1867年(慶応3)年1月、孝明天皇の跡をついで明治天皇が15歳の若さで即位した。 そのころ、徳川家茂の跡を継いだ15代将軍慶喜は、これまでの例を破っては旗本からも有能な人材を取用し、…
薩長同盟 ~西郷と竜馬~ 神戸の海軍操練所が閉鎖されると、薩摩藩の西郷吉之助は、竜馬を大坂の薩摩屋敷に呼び寄せた。西郷は、海軍についての竜馬の才能を高くかい、薩摩藩のために役立てようとかんがえていたのである。 その竜馬は…
薩長同盟 ~イギリス公使パークス~ 薩摩と長州に目をつけ、この両者の手を結ばせようとした一人は、イギリス公使パークスである。彼は1865年(慶応元)に来日し、公使の役についた。 「この人は疲れを知らない精励家で、その職…
手を結ぶ薩長反目しあっていた薩長 これに対して薩摩の人々は、そのような憎しみを長州藩に対して持っていたわけではない。しかし、頑迷な者たちよというさげすみはあったろうし、さらにこの機会に長州藩を抑えれば、…