カテゴリー:古代
行基の待遇奈良時代に民間伝道と社会事業をおこなったことで知られる行基は、人々から菩薩さまと呼ばれてありがたがられた。しかし、朝廷にとっては、彼の行動は苦々しいものだった。律令の僧尼令によれば、僧尼は寺院内に生活して国家の安泰を祈っ…
聖武天皇と仏教唐へ渡った人々などを中心にきずかれていった奈良時代の文化を、年号にちなんで天平文化とも呼んでいる。その「天平」の年号が定められたのは聖武天皇のときであり、天平文化もまたこの聖武天皇のころに、絢爛たる華をひらかせたのであ…
盲目の高僧 鑑真奈良時代における日本と唐との結びつきを考えるとき、唐の高僧、鑑真の来日のことを忘れることができない。--高僧を求めて--733年に難波の港を出発した遣唐船には、知太政官事〈いまでいうと首相代理〉から需要な命令をうけ…
阿倍仲麻呂と吉備真備≪唐で学んだ人≫を考えるとき、阿倍仲麻呂と吉備真備の名を忘れることはできない。この二人は、ともに717年出発の遣唐使に、留学生としてついていったのであるが、その一生は、まったく違った道を歩むことになつた。仲麻呂は…
大唐をめざして ~四つの船~奈良時代の朝廷の人々にとって、海をへだてた大国「唐」は、あこがれの地であった。このころ、唐が支配する地域は、東は朝鮮半島、西は中央アジア、北はシベリアの南部、南はインドシナ…