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歴史ネタ帖

無限に増殖する妖怪たち~☆彡

造形化された妖怪

 妖怪の第三の領域は、造形化された妖怪の領域である。妖怪という存在によって引き起こされた出来事を物語る話しがすべて絵画化されたわけでなく、その一部が絵画化されたという意味で、この領域はきわめて限定された領域をなすにすぎない。しかしながら、日本では早くから妖怪存在の絵画化が進められ、長い伝統と蓄積をもっている。

 妖怪的存在については、『古事記』や『日本書記』『風土記』などの記述がみえるので、日本人の先祖たちが文字を用いるはるか以前から語られていたようである。しかし、そこにはそうした妖怪的存在がどのようなかたちをしていたかが言葉でかたられているものの、その姿かたちを描いた絵画・図像が付されているわけではない。

 中世になると、貴族や武士、僧侶、商人たちがたくさん住む京都では、絵と詞書の両方でもって物語を描き語る「絵巻」という表現方法が開発され、有名な物語や政治的事件の顛末、寺社の霊験譚(はなし)」などが絵巻として制作されるようになり、そのなかに、わき役ながらも、神秘的な存在、妖怪的な存在も描き込まれるようになった。

 さらに、中世も後半の室町時代になると、絵巻や絵本といった形式をとった絵物語化されていった。

 妖怪の図像・造形化は、日本の妖怪文化史にとって、画期的な出来事であった。絵巻の製作者やそのれを享受する貴族や庶民たちは、夜の闇の奥に潜むあるいは異界からやってくる妖怪たちをなお恐れていたはずである。しかし、妖怪絵巻の多くは信仰の対象としてではなく、娯楽として制作されたので、そうした妖怪たちも徐々に娯楽の対象になり始めていたのである。

 妖怪の絵物語は人気があったようである。妖怪的存在が登場する伝説が次々に絵物語化され、新しい妖怪の絵物語も作り出された。さらに木版技術が開発されると、絵入りの印刷絵本としても制作されて、都市に住む庶民を中心に広く流布していつた。

 造形化された妖怪は、大いに人々の好奇心を刺激し、満足感を与えたことだろう。しかしながら、造形化された妖怪は、妖怪イメージの固定化される傾向をもつ。比較的早く造形化された鬼が、多種多様な姿かたちをしていたのだが、やがて虎の皮の褌をはき、角をもった筋骨たくましい姿として固定化してしまったことに示される。

 このことは、妖怪の種類(妖怪種目)が少なければ、造形化された妖怪もやがて新鮮さを失って、飽きられていく運命にあることを物語っている。

 妖怪絵師たちは、二つの段階を経て、妖怪種目を飛躍的に増加させることに成功した。それによって、妖怪存在は、一方ではそのイメージ固定化させつつも、もう一方では無限に増殖してゆくことになったのである。

 

道具の妖怪

 妖怪種目の増加はどのようになされたのだろうか。その最初の段階は、中世に起こった。古代では、アニミズム的な信仰を基礎にのながらも、妖怪的存在は、鬼や天狗、大蛇、狐などに限定されていた。そのなかでもっとも広く深く浸透したのは、「鬼」であった。鬼は人間にとって好ましくない霊的存在の総称であり、当時は「悪霊」あるいは「妖怪」とほぼ同様の意味で流通していた。

 こうした鬼の概念の下地にして新たに生み出されたのが、「つくも(付喪)神」と総称される道具の妖怪たちである

 

 道具の妖怪化に関する考え方を端的に物語るのが、『付喪神絵巻』である。そこには、次のようにかたられている。道具の霊魂(精霊)は百年経つと神秘的な能力を獲得するという。そこで、古くなった道具は、百年経つ前に捨てられた。路傍に捨てられたそんな道具たちが、なんらの感謝の念も表されることなく捨てられることに怒り、団結して人間に復讐することを思い立つ。そして、まだ百年経ってなかったのだが、古文書の霊魂の助けを借りて、神秘的な能力を獲得し、鬼になることに成功する。しかし、鬼の跳梁をしった帝が、呪験(じゅげん)のある高層たちに鬼退治を依頼し、高層が派遣した護法童子によって制圧されてしまう。降伏した鬼=道具の怨霊は、改心し、仏教修行をつむことで、最終的に成仏したのであった。

 興味深いのは、古道具の怨霊は、鬼になることで恨みを晴らそうとしていることである。ここには、古代からの鬼観念が脈流していることがわかる。しかしながら、道具は一挙に変身するもではなく、道具に目鼻や手足がつき、徐々に道具の性格を失っていって、やがて完全な鬼になるというふうに描かれている。

 完全な鬼になれば、もはやその姿かたちからはそのもとの姿を量ることはできない。

 やがて、鬼に豹変していく途中の段階である、道具の属性を体の一部にとどめた鬼が、その後、たくさん描かれるようになる。

 このことは、さまざまな道具が、その道具の属性を保ちつつ固定化された妖怪となって登場するわけであるから、一挙に妖怪種目の増加をうながすことになった。

有名な真珠庵本の『百鬼夜行絵巻』(『百鬼夜行図』)は、こうした道具の妖怪たちが、楽しげに行進する様子を描いたものである。

 

 

名付けによる妖怪種目の増殖

 妖怪種目が増加するもう一つの要因は、怪異・妖怪現象の「名付け」という営為の浸透である。人が体験する怪異・妖怪現象は、その一つとは個人的体験にすぎない。しかしながら、そうした体験と同様の体験をする人が増えれば、その体験は共同化され、同様の怪異・妖怪現象に対して「名付け」を行うことによって、相互の了解可能な共同幻想となる。

 たとえば、柳田国男が編纂した「妖怪名彙」をひもときいてみればわかるように、全国を見渡すと、地方で共同化され、名付けられたじつにたくさんの怪異・妖怪現象や妖怪存在があったことがわかる。すなわち、名付けによって、妖怪種目は増加していったわけである。

 民間では、名付けられた怪異・妖怪現象や存在は、口承のかたちで共同・伝承化されるのにとどまり、造形化・絵画化されることはほとんどなかった。絵画・造形化する必要をそれほど感じていなかったからであろう。

 ところが、こうした口承のレベルで存在する怪異・妖怪現象や存在が、都市に持ち込まれると、やがて絵師たちによって次々に絵画化されるようになる。

 安永年間(一七七二~一七八一)に、浮世絵師・鳥山石燕が描いた一種の妖怪図鑑『画図百鬼夜行』シリーズが好評を博し、次々に同様の絵巻や絵本が作成されたからである。

 こうして、名付けを通じて増殖していった妖怪種目は、その一部は都市において姿かたちを与えられ、さらにはまったく新しい妖怪種目までが生み出されていつた。日本の妖怪文化が豊穣なのは、こうした多様で豊富な妖怪種目とそれを次々に絵画・造形化してきたことによっているのである。

 

 

 

 

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