民衆の願い ~ええじゃないか~
ええじゃないか
どうして、このようなことが起こったのか。
それについては、様々な説がある。
ある人は、これは討幕派が計画的に行ったことではないかという。
あらかじめ用意したお札などをまき散らかして、このような騒ぎをおこし、倒幕の計画や行動が人目につかないようにしたのではないか、というのである。
またある人は、これは百姓一揆や打ちこわしを行った民衆の力が、形を変えてあらわれたのだと説明している。
いずれにしても、この「ええじゃないか」の騒ぎは、「何か起こりそうだ」という民衆の期待の表れであったことは、まちがいなさそうである。
民衆は、「もっといい世の中になってほしい」と願っていた。
尊攘・倒幕、新しくやってき外国人のことなど、噂として伝えられてくることを聞いただけでも、その新しい世の中、いい世の中が目の前にきているような気がする。
しかし、自分たちが何をすれば、どんなことをすれば、その世の中を現実のものにしていけるのか、よくわからない。・・・もともとそのような気持ちがあったために、ちょっとしたきっかけでこのような騒ぎに発展していったのではないだろうか。
また、この「えいじゃないか」は、結果的に討幕派の動きをたすけていることにもなったといわれる。
民衆の自信
多くの民衆は、「ええじゃないか」の踊りに明け暮れて、「あそびながらその日をくらせるのは、誠にありがたい世の中だ」などと喜んでいたかのようにみえる。しかし一方では、はっきりと「わが力を見よ」と、その自信を示すものも少なかった。
たとえば、長州藩では、高杉晋作らが奇兵隊をはじめ、諸隊をつくったとき、多くの農民と町民が参加した。それだけではなく、四国艦隊による攻撃のときも、第二次長州征伐のときにも、武士に劣らない働きをした。
また、この藩で俗論派と正義派が対立したとき、秋本新蔵という庄屋は、
「正義派の方々が倒れてしまったら長州藩はだめになってしまいます。もし皆さんの手で俗論派討伐ができないというのなら、新蔵は、百姓一揆を起こしてでも長州藩を助けたいと考えています。」
という意味のことを述べて、正義派を励ましたという。
おそらくこのような状態は、長州藩だけにあったことではあるまいるむしろどの藩にも、自分たちの力に目覚め自信をもった農民や町民がいて、ときには武士たとを助け、ときには武士と対立したりしたことも多かったに違いない。
もちろん幕府も諸藩も、そして朝廷も、これらの人々を無視することはできなかったのである。