ハリスの要求
ハリスの要求
1856年(安政5)8月5日、つまりペリーが日本を離れてから2年余りの後のこと、下田(静岡県)の玉泉寺の庭に、高い旗ざおが立てられ、アメリカの国旗、星条旗がかかげられた。風になびくこの旗を、真剣な目でみつめていたのは、アメリカ人ハリスとオランダ人ヒュースケン、それにアメリカ軍艦サン・ジャシント号の乗り組みの水平たちである。 特にハリスは、こみあげてくる喜びと、「さて、これからは、どんな出来事が待ち受けているのだろうか」という緊張感で、体がふるえるような思いであった。彼は、その日の日記に継のような意味のことを記している。「・・・午後2時半、庭に立てた旗゛ある。ざおに星条旗がひるがえった。おそらく、この日本は、この後、新しい時代を迎えることになるだろう。しかし、これは果たして日本にとって本当の幸福をもたらすものなのだろうか。」
ハリスは、総領事として、はじめて日本に来たアメリカ人である。しかも彼は、日本との貿易をすすめるため
の条約を結ぶという重要な役割を明治られていた。
これに成功すればハリスの大手柄になる。しかし、そう簡単に成功するはずがない。むずかしい問題が次々に
起こってくることも覚悟しなければならないだろう。彼は、それらのことをかんがえながら、このような日記を
したためたのにちがいない。
彼は、その目的を果たすために、ペリーと同じように幕府に対して強引に交渉を進めた。例えば、江戸に乗り
込み、老中堀田正睦(佐倉藩主)に会ったハリスは、2時間あまりにわたって、次のような意味のことを強く主張
している。
※ 前回と前後してます。
徳川幕府の役人たちは、優秀でした。何度も交渉を重ねて対応をしてます。
ただ、、、一つだけが、、、今後の幕府威信が揺らぐ結果となります。
色々な人が、色々な立場で、必死になって、その一手により、
変わってくる、過ぎてしまったことですが、過去は代えられませんが
「温故知新」
ハリスの要求 2
「世界はどんどん変わってきています。日本は鎖国をしているときではありません。むしろ開国し、ってこそ、富国強兵(国を豊かにし、強い軍事力をもつこと)を果たすことができるのです。富国強兵の努力を怠った清(中国)は、アヘン戦争でイギリスにやぶられました。今もまたアロー号事件が起こって、イギリスの侵略を受けています。そのイギリスが清を討った勢いで、もうすぐ日本へもやってくることはまちがいありません。同じようにフランスも手を伸ばしてくるでしょう。そうなったら、日本はさんざんな目にあってしまいます。私たちアメリカの者には、日本を侵略しようという考えなどありません。むしろ、日本のために役立ちたいと考えています。もし必要だというのなら、軍艦でも他の兵器でも喜んで容易しましょう。陸海軍の士官を何百人でも差し出す準備もしています。どうぞアメリカと通商条約を結んでください。そうすれば、イギリスもめったに手を出すことはできないでしょう。それこそ日本を救い、日本を発展させるための最もよい方法なのです」
このときハリスが要求したことのうち、主なものは、
・日本に公使をおくこと
・役人の監督を受けたり、幕府がまとめて売買したりするのではなく、商人同士だけで自由に貿易ができるように すること。
・貿易できる港をふやすこと
の3つであった。
しかし幕府としては、ハリスのいうことをすべて信じるわけにはいかない。まして、3つの要求をただにそのまま承認することもできない。「さて、どうしたらよいか」と、毎日のように会議を開いて相談したが、なかなか結論が出ない。そうこうするうちに、1カ月余りが過ぎ去った。
待ちくたびれたのはハリスである。そして彼は「アメリカのこそ、日本の味方だ」という言葉とは反対に、「要求がいれられないなら、アメリカ艦隊を呼ぶぞ。江戸の町へ砲弾の雨をふらせるぞ」と、おどし始めたのである。ちょうどこのころ、「貿易の開始もやむをえない」という意見にまとまりかけていた幕府は、これをきっかけに条約を結ぶことを決心した。そして1858年1月12日には、その案がまとまった。