川中島の戦い武田信玄と上杉謙信とは、川中島で五回にわたって戦っている。この川中島のある北信濃・善光寺平の地は、両者のいずれもが重視していたところであった。越後の上杉謙信にしてみれば、ここは本拠地春日山城から、60キロほどしか離れいて…
猪苗代城の歴史≪中世≫猪苗代城の築城については、奥州合戦によって会津を与えられた相模国の御家人佐原義連の孫・経連が鎌倉時代初期に築いたといわれているが、真偽は不明である。≪近世≫ その後、会津領主は蒲生氏郷、上杉景勝…
北条早雲が死んで間もなくのころ、美濃国(岐阜県)では、松浪庄五郎(まつなみしょうごろう・・のちの斎藤道三)が、野望をつのらせていた。京都で浪人の家に生まれた彼は、幼いころ寺にあずけられ、法蓮坊と呼ばれていたという。…
☆伊最初の戦国大名 勢新九郎長氏の登場1469年(文明1)、つまり応仁の乱がはじまってから2年ほどあとのこと、東海道を東へ東へと進んでいく七人の男たちがいた。荒木兵庫頭(あらきひょうごのかみ)、多目権兵…
毛利元就毛利元就は、安芸国(広島県)吉田の郡山城で生まれた。元就は、二男であったために、郡山城の西にある猿懸城に住むことになった。ここは、城というよりは、土づくりの塀をめぐらしただけの粗末な砦のようなものであった。しかも、…
猪苗代湖を一望できるところにある天鏡閣です。これは、有栖川宮・高松宮翁島別邸です。本館、別館、表門は1979年(昭和54年)2月3日、国の重要文化財に指定されています。一部3階建てのルネサンス様式を巧みに…