閉じる
  1. 猪苗代城の妖怪・亀姫
閉じる

歴史ネタ帖

カテゴリー:日本史の通史

室町末期の横沢氏(猪苗代湖の南側の土地を領有)伊東河内については不明や疑義の点が多く、至徳の頃(北朝方にてしようされた年号、1384年~1387年まで)田面の寺にて自滅して失いたり、といい、そののち大永三年(1523年)には会津葦名…

猪苗代町にあるキリシタン受難の地 蒲生氏郷はレオ氏郷の洗礼名を持つキリシタン大名であったため若松・猪苗代・南会津・郡山・三春・白岩・糠沢・二本松・福島にキリスト教が広まりました。しかし、寛永9年&lt…

猪苗代氏猪苗代氏(いなわしろし)は、桓武平氏、三浦氏の流れを汲む日本の武家の氏族で、蘆名氏の支流です。三浦氏の一族の佐原氏の佐原盛連の長子で蘆名光盛(蘆名氏の祖)の兄である猪苗代経連が鎌倉時代中期に陸奥国…

王政復古の大号令 徳川慶喜による大政奉還、その一方では薩摩・長州藩らを中心とする倒幕の準備、という情勢の中で、1867年終わりころの京都・大坂は騒然とした空気につつまれていた。 その京都・大坂をめざして、各藩の兵が続々と…

薩長同盟 1866年1月、長州の木戸貫治(孝允)は、薩長同盟を締結するために、京都の薩摩藩邸を訪れた。 連日歓待を受けたが、しかし薩長同盟の話しは薩摩側からは出ない。長州からも持ち出さない。いずれ…

江戸幕府の最後1867年の幕府と薩長1867年(慶応3)年1月、孝明天皇の跡をついで明治天皇が15歳の若さで即位した。 そのころ、徳川家茂の跡を継いだ15代将軍慶喜は、これまでの例を破っては旗本からも有能な人材を取用し、…

薩長同盟 ~西郷と竜馬~ 神戸の海軍操練所が閉鎖されると、薩摩藩の西郷吉之助は、竜馬を大坂の薩摩屋敷に呼び寄せた。西郷は、海軍についての竜馬の才能を高くかい、薩摩藩のために役立てようとかんがえていたのである。 その竜馬は…

 薩長同盟 ~イギリス公使パークス~ 薩摩と長州に目をつけ、この両者の手を結ばせようとした一人は、イギリス公使パークスである。彼は1865年(慶応元)に来日し、公使の役についた。 「この人は疲れを知らない精励家で、その職…

 手を結ぶ薩長反目しあっていた薩長 これに対して薩摩の人々は、そのような憎しみを長州藩に対して持っていたわけではない。しかし、頑迷な者たちよというさげすみはあったろうし、さらにこの機会に長州藩を抑えれば、…

 長州藩と四国艦隊との戦い 攘夷に凝り固まっていた長州藩は、「五月十日を期して攘夷を実行する」という幕府の奉答を、そのまま実現しようとした。つまり、1864(元治元)年5月10日、下関海峡を通ろう…

さらに記事を表示する

猫は、真実を見ている。 はじめまして、黒坂メイ(ペンネーム)てす。「分かりやすい・簡単・安心して使える歴史ネタ」を提供し、「そうなんだなぁ」と歴史を身近に感じて頂けるホームページを目指しています。 宜しく、お願いいたします。

ページ上部へ戻る