酒呑童子 ~仏や神と相いれない存在~
酒呑童子
酒呑童子のような鬼は仏に敵対する立場にある。
仏力を示されても恐れることなく、歯向かってくるところは身の程知らずというべきか、大胆不敵というべきか、ともかくおどろべく生き方をしている。
酒呑童子はもともと伊吹童子といって、伊吹山に住んでいたと伝えられる。
伊吹大明神が追放したので、童子は比叡山に移り住んだ。
しかし伝教大師最澄と山王権現が鎮護国家の寺(延暦寺)を建立するに際して童子はまた追い出されてしまったのだ。
越後にも酒呑童子の伝承がある。
国上寺所蔵の絵巻によると(山田現阿『絵巻 酒呑童子 越後から大江山へ』考古堂書店、一九九四年)、外道丸(酒呑童子の幼名)はりょう厳寺から追い出され、国上寺に行き、鬼の面が外れなくなって、寺を出て山に籠ることになり、その後、頼光四天王との対決劇に進んでいつたと伝える。
このように、仏や神とはもともと相いれない存在だつたのである。
人間から鬼へ
もともと人間であったものが鬼に化していくということがある。
後妻に嫉妬して鬼の面をつけたらそれが剥がれなくなって鬼になった女、恨みの念が増して人を呪詛し続けて鬼になった女などがいる。
人を恨んで生霊となつた女が鬼の形相で相手の前に現れるのは、『源氏物語』の昔からあった。
こうした負の感情は仏の教えに反するものであり、結果として仏と相いれない存在に移行していくことになる。
そこで内面に応じて外面も鬼に変化していくわけだ。
時には生きながら、時には死んでからと、その時期はまちまちだが、人間が鬼になるのは怨念や憎悪といったくらい思いを深めていくことによるのだろう。
要するに、仏の教えから離れていってしまった結果、こうして鬼になった人々がいたのである。
再び仏の教えに浄化される鬼もあれば、酒呑童子のように人間を捨て、完全な妖怪となって仏に敵対して消えていった鬼もあった。
引き立て役としての妖怪
伝説に出てくる妖怪も、昔話と同じく、聴き手が説明なしにその存在を理解できる有名な妖怪たちばかりである。
伝説の中では妖怪は、巨人伝説のように人知を超えた力で地形そのものを作り出したり、人里で暴れて、平維平や諏訪頼遠といった英雄や、徳忠和尚のような高僧に退治され、石や木や塚や行事といった記念の事物を遺したりするために出現している。
これが「伝説」に現れる妖怪の特徴である。
伝説の中の妖怪は、英雄や高僧の偉大さを称え、その伝説が伝わる寺社や家筋や集落の歴史と栄誉を飾るための引き立て役として登場させられているのである。
そこでも昔話と同じく、聴き手が理解しがたい、耳に慣れぬ妖怪には出番はない。
反対にその強さや恐ろしさが知れ渡っている鬼や天狗はあっちこっちに引っ張りだされ、御伽草子や語り物芸能に登場する<酒呑童子>や<鬼女紅葉>といつた有名どころは、各地の伝説に登場する売れっ子妖怪となるのである。
伝説の中の妖怪は「英雄に退治されるのを待つ好敵手」といえるだろう。
昔話や伝説にはそうした、姿形や性質、成体、時には弱点までもが、語り手と聴き手に知識としてすでに備わっている、よく知られた妖怪たちばかりが登場するのである。