辞世の句 ~新選組局長 近藤 勇~
幕府への忠義に殉じた新選組局長
靡他今日復何言 (他になびき今日また何をか言はん)
取義捨生吾所尊 (義を取り生を捨つるは吾尊ぶ所)
快受電光三尺剣 (快く受けん電光三尺の剣)
只將一死報君恩 (只まさに一死をもって君恩に報いん)
近藤勇は、新選組局長でした。武蔵国多摩の農民の子として生まれた彼は、天然理心流剣術を修め、その三代目である近藤周斎の養子となった。
1861年には正式に点飲ん理心流四代目となっている。1863年、清川八郎の献策で浪士組が結成されると、近藤はこれに参画。京都到着後には清河らと袂を分かち、会津藩預かりとなって「壬生浪士組」を結成する。なお、同年中に組織の名は「新選組」に改められた。近藤は土方歳三らとともに芹沢鴨の一派を粛清し、局長として組織の主導権を握る。
その後、近藤率いる新選組は、池田屋事件や禁門の変などで活躍。1866年に戊辰戦争が始まると、新選組は幕府軍として戦い、敗北して江戸まで撤退。組織名は「甲陽鎮撫隊」と改名され、なお戦い続けるが、甲州勝沼の戦いでも新政府軍に敗れている。
1868年4月、近藤は駐屯していた下総国流山でついに捕らえられ、同月末に斬首された。彼の首は京の三条河原に晒されたという。
参考図書 『勇猛・悲壮 辞世の句150』より
動画 ご褒美ブログ 近藤勇の墓
近藤勇の墓は、会津若松市の天寧寺にあります。土方歳三が遺髪などをもっていて会津戦争の折、ここに仮埋葬したといいます。毎年4月25日の近藤勇の命日には墓前祭りが開催されます。