入定の執念 『老媼茶話』より
入定の執念
入定とは、
日本の一部地方に見られる民間信仰において、僧は死なず、生死の境を超え弥勒菩薩出世の時まで、衆生救済を目的として永遠の瞑想に入る(入定:にゅうじょう)と考えられている。僧が入定した後、その肉体は現身のまま即ち仏になるため、即身仏と呼ばれる。原義としての「入定」(単に瞑想に入ること)と区別するため、生入定(いきにゅうじょう)という俗称もある。日本においては山形県の庄内地方などに分布し、現在も寺で公開されているところもある。
江戸時代には、疫病や飢饉に苦しむ衆生を救うべく、多くの高僧が土中に埋められて入定したが、明治期には法律で禁止された。また入定後に肉体が完全に即身仏としてミイラ化するには長い年月を要したため、掘り出されずに埋まったままの即身仏も多数存在するとされる。
『老媼茶話』に「入定の執念」という話があります。
これは、ある僧が即身仏になるために地下に生きながら埋められるのですが、数十年たっても、その穴から音がするというのです。
ある日、風が吹きそこに植えた目印の松の木が倒れてしまい、村人達により墓をあけることになったのでした。
そうすると、僧は、まだ生きていたのでした。
村の名主が何が成仏できないことがあるのかと、僧に尋ねると、僧は「入定の時に美しい村娘が僧の衣の裾をつかみ、涙をながし十念を授けてくれるように話した。その時に、僧は、その美しい村の娘に心を奪われてしまったのでした」と話しました。
それで、名主は、当時の信仰厚く美しい娘を僧のもとに連れてこさせて、老婆となった姿を見せると、僧は、朝日に消える露のように白骨となり消えてしまったという。