奥州の雄・伊達氏、駿河・遠江・三河に覇をとなえた今川氏
◎奥州の雄 伊達氏
後に仙台に青葉城を築き、奥州一帯ににらみをきかした伊達氏は、もともとは常陸国(茨城県)伊佐荘に住む御家人であった。それが、源頼朝の奥州征伐に従軍して手柄をたて、陸奥国伊達郡(福島県)の地頭職に任ぜられてから、伊達氏を名乗るようになったといわれている。この後、しだいに勢いをたくわえた伊達氏は、将軍足利義満のころから代々の足利将軍にも親しく仕え、応仁の乱後には、前将軍義政をはじめ幕府の要人に莫大な贈り物をして、人々を驚かせた。またそのためもあってか、1522年には陸奥国守護職に任ぜられるほどになった。こうして名実ともに備わる大名になったのだが、その家内には父子の争い、重臣の争いが絶えなかった。それらをおさめ、強力な領国を形成していったのが、1584年(天正12)に家督を継いだ伊達正宗である。
◎駿河・遠江・三河に覇をとなえた今川氏
伊勢新九郎長氏(北条早雲)がはじめて身を寄せた今川氏は、古くから駿河(静岡)の守護として勢いを振るってきた家柄である。また、早雲を受け入れた義忠の子氏親のころには、遠江(とおとうみ 静岡県)に勢いを広げ、さらにその子義元の代になると、三河(愛知県)にも進出して、駿河・遠江・三河にまたがる大名として、その名を知られるようになった。
義元は、この勢いに乗じて京都にのぼり、全国の大名をおさえようとしたが、その途中、桶狭間(愛知県)の戦いで織田信長に敗れて死んだ。