姫路城の刑部明神(おさかべみょうじん)猪苗代城の亀姫様のお姉さまが祀られている神社
姫路城の刑部神社
姫路城の最上階の6階には、刑部明神がまつられています。
姫路が建つ姫山には、「刑部(おさかべ)大神」などの神社がありました
豊臣秀吉は築城にあたり刑部大神の社を町外れに移しました。
この神社が「おさかべ」の名の由来です。ただし初期の伝説や創作では、「城ばけ物」(『諸国百物語』1677年)などと呼ばれ名は定まっていなかったようです。
この社の祭神が具体的に誰であったかは諸説あり不明ですが、やがて、城の神であり、城主の行いによっては祟ると考えられようになりました。これに関しては次のような事件があります。関ヶ原の戦い後に新城主となった池田輝政は城を大規模に改修したのですが、1608年に新天守閣が完成するころ、さまざまな怪異が起こり、1611年にはついに輝政が病に臥してしまいまし。これが刑部大神の祟りだという噂が流れたため、池田家は城内に刑部神社を建立し刑部大神を遷座したということです。
宮本武蔵の姫路城の狐退治
姫路市の地元では、武蔵の狐退治の逸話が昔話という形で広まっている。
明治一八年頃に刊行された宮本武蔵の実録物『今古實録 増補英雄美談』によると、宮本武蔵は武者修行の旅の途上で、「宮本七之介」の名で足軽として姫路城主の木下勝俊に仕えていたという。
その頃、小刑部大明神を祀っていた姫路城の天守閣では、怪異が相次いでおこっていた。宮本武蔵は、誰もが恐れる天守閣の夜番を無事に乗り切ったことで武蔵の正体が発覚した。
城主は、改めて武蔵に天守の怪異の調伏を頼む。武蔵が灯りを手に天守閣の五重目へとあがり、明け方まで過ごしていると、小刑部大明神の神霊を名乗る女性が現れた。女性は、ここに巣食っていた齢数百年の古狐が武蔵に恐れをなして逃げ出したと告げ、武蔵に褒美として銘刀・郷義弘を授けた。
しかし、これは女性に化けた狐の罠だった。
郷義弘は、豊臣秀吉から拝領した木下家の家宝であり、狐は武蔵に罪を着せて城から追い出そうとしたのした。狐の目論みはうまくいかず、武蔵は罪に問われなかったという。
化け物姉妹、刑部姫と亀姫
姫路城大天守に神棚のようなものがあり、これは姫路城大天守に住む刑部(おさかべ)姫を祀ったものだとか。
刑部姫とは、関ケ原合戦後、池田輝政が姫路城に入城したばかりの頃、城内で奇怪な現象が連続しました。
例えば、①だれもいないはずの天守に明かりがともる。②鳴き声がする。③夜な夜な悪鬼や大入道が現れる。④「城内に八天塔をつくらなければ呪い殺すぞ」という怪文書が出回る。などなど。
しかもちょうどその頃に、輝政が病に倒れてしまい、試しに八天塔を建ててみると病がなおり、病が治った。
夜、輝政の枕元に姫路城に古くから住みついていた刑部姫という妖怪が十二単衣を着た美女姿で現れ、輝政は初めて彼女の存在を知りますが、なにせ相手は人間ではありません。
輝政は一年に一度、彼女の要望を聞くので家臣の前には現れないでほしいと頼みます。すると刑部姫は新築した大天守に移り住むことを条件に承諾したとか。
以後、姫路城の歴代城主は年に一度、刑部姫との会談を行うようになったそうです。
この刑部姫、もともとは羽柴秀吉が姫路城主だったころ、秀吉が誤って祠を壊してしまったために現れるようになったそうですが、秀吉は徹底して無視を決め込んで相手にしなかったのだとか。
刑部姫は姫路城がある姫山に住む老狐ではなかったのかともいわれます。
あの剣豪の宮本武蔵も刑部姫と対決していますが、郷義弘という銘刀を与えられて懐柔されています。
今でも大天守内の神棚に祀られている刑部姫。姫路城の御姫様、まだ、住んでるよね。
元はと云えば、豊臣秀吉が築城にあたり刑部大神の社を町外に移したことが原因。
それなのに、刑部姫のいうことに耳をかさなかったという秀吉、
女すきなのだから、きいても良かったのに、どうした秀吉
化け物よばわりされて、いいめいわくと刑部姫の一言がありそう
義理の妹には、かの有名な亀姫がいるそう。
泉鏡花の戯曲『天守物語』では義理の姉妹となっているそうです。
姉妹そろって、化け物よばわりもないよね。
でも、こわそうだ~~。。。。