薩長同盟
薩長同盟
1866年1月、長州の木戸貫治(孝允)は、薩長同盟を締結するために、京都の薩摩藩邸を訪れた。
連日歓待を受けたが、しかし薩長同盟の話しは薩摩側からは出ない。長州からも持ち出さない。いずれ自藩から同盟を持ち出すことで立場を弱めることを恐れたのである。
しびれを切らした木戸は、ついに国に帰ることになって、送別の宴が催されることになった。
このとき京都に帰ってきたのが坂本龍馬である。坂本は、薩長同盟はとっくに締結されているとおっていた。ところが話しは何も進んでいない。木戸は帰国するという。坂本は怒って木戸に事情説明を求めた。木戸は「今、長州は四方を敵に囲まれ弱い立場にある。その長州から同盟を求めるのは、薩摩に助けをもとめるのに等しい。武士としてそのような頼みはできない。長州は亡びてもよい。あとは薩摩が引き受けるというならば安心である。」と心中を語った。坂本は西郷にも会って木戸の胸中を明かした。了解した西郷は、さっそく薩長同盟のことを薩摩側から提示し、ここに同盟が成立したのである。
武士の面子かな交渉の上手は木戸か、兎に角、歴史は変わり様がないそけど、この時、グローバル化をなんとか乗り切ろうと幕府も必死に改革をしていたことも事実。速めに、各藩を纏めて統一国家に組織化で来ていたなら、どうなっていたかな。
歴史に、もしもはない。情報と物流が大切なのは、今も昔もかわらないと思う。
金銀財宝は、海外に流れ、どうでもよい武器が残った武士の経世済民の思想が明治という時代の近代化を加速させたように思う。
矢張り、武士だね。
参考図書『スーパー日本史』より